社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品
文字数 3,129文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
今回の話題作
「トリカゴ」辻堂ゆめこの記事の文字数:1,889字
読むのにかかる時間:約3分47秒
■POINT
・女性刑事が未解決事件の真相に迫る
・子どもへの虐待、不幸の連鎖をどう受け止めるか
・「無戸籍」という社会問題
■女性刑事が未解決事件の真相に迫る
「私たちが安心して住める場所は、ここしかないの」
ユートピア。「ここしかない」といわれる場所は理想郷と言えるのだろうか。
辻堂ゆめの最新書き下ろし長編ミステリー『トリカゴ』。
蒲田署刑事課強行犯係巡査部長の森垣里穂子はある夜、殺人未遂事件の現場に急行する。すぐに被疑者と思しき女性・ハナを特定し逮捕するが、送検後に全面否認に転じてしまう。ハナへの疑いをぬぐい切れない里穂子は捜査の過程で、ハナが無戸籍者であること、無戸籍者が隠れ住むコミュニティを知る。
犯人を逮捕したいという思いを持つ一方で、ハナたちが暮らす場所を壊してしまうのではないかと悩む里穂子。しかし、あるとき、かつて大きなニュースとなった「鳥籠事件」の兄妹と、ハナとその兄に共通点があることに気がつく。鳥籠事件を追う特命捜査対策室の葉山に協力を仰ぎ、捜査を進めていくうちに衝撃的な真相を知ることになる。
■子どもへの虐待、不幸の連鎖をどう受け止めるか
物語の大きな鍵となっている「鳥籠事件」。
アパートの一室に、鳥と一緒に閉じ込められていた3歳の男の子と1歳の女の子。彼らの母親は養育を放棄し、まともに食事を与えていなかった。身体の発育も遅れ、まともに話すこともできない子どもたち。鳥の鳴き真似や両腕を羽ばたかせる仕草しかせず、まるで野生児のようだ、とメディアは報道した。2人の子どもは児童養護施設に引き取られたが、1年後、何者かによって誘拐されてしまう。
主人公の里穂子が刑事を志したのは、6歳のときにこのニュースを見たのがきっかけだった。鳥籠事件のような子どもたちを助けたい。だから、鳥籠事件の被害者かもしれないハナたちにも次第に情が移っていく。
少しずつ明らかになっていく鳥籠事件の真相。それは3歳と1歳の子どもの姿を想像できる人なら、思わず読む手を止めてしまいたくなるほどの醜悪さだ。子どもたちは歯を磨いてもらったことがなく、口の中は虫歯だらけ。この事実ひとつをとってみても本来受けられるはずだった愛情を受けられていないとわかる。
どうしてそんなことができるのか。許されないとしても、親にのっぴきならない理由があってほしい、と思わずにはいられない。根から悪い人間はいないのだと思いたい。が、純粋に自分のためにしか生きられない、そのためには他者を傷つけてもいいと思っている人間がいる事実が一貫して描かれている。
■「無戸籍」という社会問題
生活している中で当たり前に持っている戸籍。本書を読んで「無戸籍」について無知であることを恥じた。
無戸籍になる理由はさまざまだ。『トリカゴ』の中でも、親に捨てられた、出産費用を踏み倒して支払いできなかったせいで病院から出生証明書を出してもらえなかった、という事例が紹介されていた。よくあるパターンとして挙げられていたのが、DV夫と離婚できないまま家出をし、その先で別の男性と恋仲になり出産。しかし、出生届を出すとDV夫の戸籍に入ることになってバレてしまうので、子どもの存在を隠す、というものだ。
ほかにもさまざまな事例があるが、令和2年9月末時点で、把握されている無戸籍者数は3235名にのぼるという。
もちろん、戸籍を取得する方法もある。が、無戸籍のため学校にも行けず、情報を得る術もない彼らがその方法を詳しく知るまでには至らない。助けてくれる人がいることも知らない。
無戸籍のまま生きて、死んでいくしかない、とあきらめてしまう。戸籍を持たないハナたちが安全に生きられるのは、無戸籍者たちが集まるコミュニティだけ。自分たちはこの国に存在しない人間だから、仕方がない。
根から悪い人間はいる、と確信する一方で、無戸籍者たちの苦悩を物語の中で目の当たりにすると、何が正義で何が悪なのか分からなくなってくる。暴力をふるうのは悪だと分かりやすい。しかし、どうにか彼らを助けたい、と浅い知識で手を差し伸べようとする里穂子も彼らにとっては悪者になりかねない。今の自分たちの生活を脅かす存在だからだ。
無戸籍の彼らに住まいを提供する者は、ある側面では法律を犯し、悪となるが、無戸籍者からすれば善だ。世界は、単純な勧善懲悪ではないのだと思い知らされる。
無戸籍と、法律、正義、弱者と強者、暴力。そもそも、戸籍は必要なのか。戸籍によって生まれる「家」制度は現代社会とフィットしているのか。さまざまな要素が絡み合った本作は、自分が見ようとしていない社会を見直すよいきっかけになるはずだ。
「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー
・「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)
・孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)
・お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)
・2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)
・「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)
・ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)
・絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)
・黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)
・恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)
・高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)
・現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)
・画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)
・ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人)
・人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)
・猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)
・指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)
・“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)
・何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)
・今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)
・「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)
・さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)