3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」

文字数 3,318文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織

この記事の文字数:1,591字

読むのにかかる時間:約3分11秒

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・衝撃的な物語の始まりが描く日常

・なぜ、3人は自殺をしたのか

・人間はひとりではいられない

■衝撃的な物語の始まりが描く日常


「新年を祝うのは、その年を生きる人々であるべきだ」


毎年繰り返される大晦日から元旦。多くの人が「今年は良い年でありますように」もしくは「今年も良い年でありますように」と願う。しかし、命を絶つ者は当たり前にその言葉を口にはしない。もういないのだから。


江國香織による『ひとりでカラカサさしてゆく』。

大晦日の夜に、都内のホテルで80代の男女が自殺した。それも、猟銃で。

物語の冒頭から、インパクトが大きい。元旦に流れるニュースとして物々しい。しかし、大半の人は「そんな事件があったのか」で終わる。正月の喧騒に浮かれて、仕事始めのころには忘れているかもしれない。自殺した者たちに関わる人間を除いては。


篠田完爾、重森勉、宮下知佐子の突然の死は、残された人たちの日常にほんの少しの変化を与えていく。

■なぜ、3人は自殺をしたのか


物語は、自殺をする前の3人の様子と、残された人たちの「今」の生活が絡み合うように描かれていく。


3人は、自殺をするホテルのバーラウンジで楽しげに飲みかわし、思い出話に花を咲かせる。もともとは美術系の出版社で同僚だった3人。退職したり、転職したりしても、定期的に勉強会と称してコンサートや芝居、映画を見に行ったり、酒を飲んだりして人生を共にしてきた。場合によっては、家族も知らないことを知っている。話すことはたくさんある。朗らかなシーンは、とてもじゃないが、自殺する人たちのそれには見えない。


なぜ、彼らは3人で自殺したのか。しかも猟銃で、ということは、誰かが2人を殺し、最後のひとりは自分で自分に引き金を引くことになる。どうしてそんな方法で?

疑問はあとからあとから湧いてくる。しかし、明確な答えは得られない。ただ言えるのは、80年以上生きて来た彼らにとって、それが何よりもしっくりくる答えだったのだということだ。

■人間はひとりではいられない


残された人たちの反応はさまざまだ。「なぜ、どうして」と泣きじゃくる者。悲しいけれど、「あの人らしい」と納得する者。ほんの少しの罪悪感を覚える者。


3人は同じひとつの墓地に入ることを望んだため、また、類を見ない最期だったこともあり、納骨の際にそれぞれの家族、友人が一同に介することになる。

祖母や祖父、あるいは父や母同士の仲が良かったとしても、その子どもや孫にまでその関係が及ぶことは少ないだろう。が、思いがけない形の死によって彼らは引き合わせられることとなった。

また、それまで没交渉となっていた家族と再会することにも。自殺した3人がそんな繋がりを求めていたのかどうかは分からない。


ただ、見えるのは人間同士の絡まりだ。それぞれが人間同士の繋がりに絡めとられながら生きている。例えば、義理の家族に対してだって全く別のコミュニティの人間に出会えば、「どうしてそんなことをするのだろう?」と疑問が湧く。説明のつかない感情に戸惑うこともある。

そもそも、自殺した3人も出会うことがなければ、このような最期は選ばなかったかもしれない。人と人が出会い、コミュニティが生まれ、その中でひとつの文化が生まれる。その文化によって、人の行動は変わる。コミュニティの外にいる者にとって、その行動は奇異だとしても、本人たちは納得の上だ。


作中の端々で感じられたのは、人間はひとりだということ。それでいて、社会でひとりで生きて行くことは叶わない。3人も一緒に死んだと言っても、同時に息絶えたわけではない。

大事な人が亡くなっても日常は続いていく。死は変化をもたらしたが、その変化もやがて日常になっていく。生活は常に変化しているようでいて、本当は何も変わっていないのかもしれない。

センセーショナルな最期はただただ、それぞれの静かな日常を際立たせた。

今回紹介した本は……


ひとりでカラカサさしてゆく』

江國香織

新潮社

1760円(1600円+消費税10%)

「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー

「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)

「多様性」という言葉の危うさ(『正欲』朝井リョウ)

孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)

お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)

2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)

「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)

ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)

絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)

黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)

恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)

高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)

現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)

画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)

ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人

人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)

猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)

指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)

“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)

何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)

今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)

「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)

さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)

ゾッとする、気分が落ち込む――でも読むのを止められない短編集(『カミサマはそういない』深緑野分)

社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品(『トリカゴ』辻堂ゆめ)

2つの顔を持つ作品たち 私たちは他人のことを何も知らない(『ばにらさま』山本文緒

今を変えなければ未来は変わらない。現代日本の問題をストレートに描く(『夜が明ける』西加奈子)

自分も誰かに闇を押し付けるかもしれない。本物のホラーは日常に潜んでいる(『闇祓』辻村深月)

ひとりの女が会社を次々と倒産させることは可能なのか?痛快リーガルミステリー(『倒産続きの彼女』新川帆立)

絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか(『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎)

新たな切り口で戦国を描く。攻め、守りの要は職人たちだった――(『塞王の楯』今村翔吾)

鍵を握るのは少女たち――戦争が彼女たちに与えた憎しみと孤独と絆(『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬)

運命ではない。けれど、ある芸人との出会いがひとりの女性を変えた。(『パラソルでパラシュート』一穂ミチ

吸血鬼が受け入れられている世界に生きる少女たちの苦悩を描く(『愚かな薔薇』恩田陸)

3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」(『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織)

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