骨太リーガルミステリが問いかける。正義とは正しいのか。

文字数 3,968文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

薬丸岳『刑事弁護人』

この記事の文字数:1,681字

読むのにかかる時間:約3分22

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・嘘の供述に隠された真実とは?

・弁護士、犯人、刑事、それぞれの正義

・息を吞む裁判描写

■嘘の供述に隠された真実とは?


「被疑者や被告人には弁護人以外に誰も味方はいない」


罪を犯した人間を無罪にする、もしくは量刑を軽くする。弁護士は時として憎まれることがある。ただ、弁護士も、検察官も、真実を明らかにするのが本当の仕事であるはずだ。


薬丸岳『刑事弁護人』。

刑事弁護に使命感を抱き、仕事に取り組んでいる持月凛子。彼女が引き受けることになったのは埼玉県警の女性警察官・垂水涼香が起こしたホスト殺人事件だった。警察官が被疑者ということで世間の注目度は高い。また、涼香は被害者の加納に対して殺意はなかった、と主張している。

凛子は同じ事務所に所属する弁護士・西大輔と弁護に当たるが、涼香の供述には不可解なところが多い。次第に彼女の供述の大半は嘘だということがわかっていく。

弁護のために調査を続けるが、やがて、涼香は「私の言うことを信じてくれないから」と凛子たちを自分の担当弁護から外そうとする。更には「私の言うことを信じてくれる弁護人なら適当な弁護をされても構わない、裁判で負けても構わない」と言い出す。涼香が胸に秘める真実とは、果たして涼香に殺意はあったのか。

■弁護士、犯人、刑事、それぞれの正義


凛子の父もまた、刑事事件に強い弁護士だった。父は傷害致死事件を起こした20歳の男性・増田の弁護を担当、その増田に殺された18歳の被害男性の母親に殺された。増田の量刑は求刑よりも軽く、その判決を勝ち取った凛子の父に恨みの矛先が向かったのだ。

凛子は、一時は検察官を目指すことも考えたが、「被疑者や被告人には弁護人以外に誰も味方はいない」という父が理念は間違っていない、と証明するために弁護士の道を選んだ。

凛子と一緒に弁護に当たる西も特殊な経歴の持ち主だ。刑事から弁護士への転身。彼にも彼なりの正義がある。被告人が反省をしていないのなら、それを裁判でつまびらかにする。依頼人の利益を最大にするのが弁護士の仕事だというのに、たとえ、依頼人に不利な状況になろうともその信念を曲げない。

そして、正義感が強いのは警察官である涼香も同じだ。彼女の同僚たちは口をそろえて真面目な勤務態度を評価する。そんな彼女が殺人を起こすはずがない、と言う人もいる。


正義も十人十色。全ての正義が正しいわけではないし、正義感が強い者同士だからといって意見が合うわけではない。

反発し合う凛子と西、そして弁護人と反発する涼香。それぞれの正義が交わるにつれ、意外な真相が明らかになっていく。

■息を吞む裁判描写


ホスト殺害事件の大方の真相は物語の3分の2程度のところで明らかになる。

残りの3分の1で展開されるのは、事実の裏付け、公判の様子だ。これまで、凛子たちが調べてきたことが改めて裁判で証言され、積み上げられていく。さらに、裁判中に新たな証拠が提出され、緊迫感が増す。

そして、裁判で明らかになるのは事件の真相だけではなく、人間の心情のもつれが克明に描かれている。なぜ、この事件が起こったのか、を考えてみると機転となる出来事があり、そこから関係者がどうしてそのような選択をしたのかがわかっていく。ひとつでも、違う行動をとっていれば、ひとりでも違う誰かが関わっていれば、事件は起こらなかった可能性もある。

裁判と聞くと厳格なイメージがあるが、本当にひとりの人間の人生の反省が行われているのだと感じる。


リーガルミステリでは視点が弁護側か、検察官側か、はたまた原告側か、被告側かで正義が変わる。そう考えると正義とはなんて曖昧なものなのだろう。

が、この作品で重視されるのは「真実は何か」であるということ。真実は時に人を傷つける。だから嘘をつく。しかし、一度ついた嘘は消えない。その嘘を正当化させるためにまた嘘をつき、大ごとになっていく。

真実を明らかにすることは正義なのか。正義があるなら嘘をついてもいいのか。人間の根本を改めて問いかけられている作品だ。

今回紹介した本は…

『刑事弁護人』

薬丸岳

新潮社

2145円(1950円+消費税10%)

「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー

「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)

「多様性」という言葉の危うさ(『正欲』朝井リョウ)

孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)

お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)

2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)

「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)

ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)

絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)

黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)

恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)

高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)

現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)

画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)

ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人

人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)

猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)

指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)

“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)

何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)

今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)

「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)

さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)

ゾッとする、気分が落ち込む――でも読むのを止められない短編集(『カミサマはそういない』深緑野分)

社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品(『トリカゴ』辻堂ゆめ)

2つの顔を持つ作品たち 私たちは他人のことを何も知らない(『ばにらさま』山本文緒

今を変えなければ未来は変わらない。現代日本の問題をストレートに描く(『夜が明ける』西加奈子)

自分も誰かに闇を押し付けるかもしれない。本物のホラーは日常に潜んでいる(『闇祓』辻村深月)

ひとりの女が会社を次々と倒産させることは可能なのか?痛快リーガルミステリー(『倒産続きの彼女』新川帆立)

絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか(『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎)

新たな切り口で戦国を描く。攻め、守りの要は職人たちだった――(『塞王の楯』今村翔吾)

鍵を握るのは少女たち――戦争が彼女たちに与えた憎しみと孤独と絆(『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬)

運命ではない。けれど、ある芸人との出会いがひとりの女性を変えた。(『パラソルでパラシュート』一穂ミチ

吸血鬼が受け入れられている世界に生きる少女たちの苦悩を描く(『愚かな薔薇』恩田陸)

3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」(『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織)

ミステリーの新たな世界観を広げる! 弁理士が主人公の物語(『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』南原詠)

大切な人が自殺した――遺された者が見つけた生きる理由(『世界の美しさを思い知れ』額賀澪)

生きづらさを嘆くだけでは何も始まらない。未来を切り開くため「ブラックボックス」を開く(『ブラックボックス』砂川文次)

筋肉文学? いや、ひとりの女性の“目覚め”の物語だ(『我が友、スミス』石田夏穂)

腐女子の世界を変えたのは、ひとりの美しい死にたいキャバ嬢だった(『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ)

人生はうまくいかない。けれど絶望する必要はないと教えてくれる物語たち。(『砂嵐に星屑』一穂ミチ)

明治の東海道を舞台としたデスゲーム。彼らがたどり着くのは未来か、滅びか。(『イクサガミ 天』今村翔吾)

・自分の友達が原因で妹が事故に遭った。ぎこちなくなった家族の未来は?(『いえ』小野寺史宜)

・ある日突然、愛する人が存在ごと世界から消えてしまったとしたら?(『世界が青くなったら』武田綾乃)

・あり得ない! 事件を一晩で解決する弁護士・剣持麗子、見参。(『剣持麗子のワンナイト推理』新川帆立)

・想いは変わらない……夫婦が織りなす色あせない「恋愛」(『求めよ、さらば』奥田亜希子)

・別れ、挫折、迷い。それぞれが「使命」を見つけるまでの物語(『タラント』角田光代)

・骨太リーガルミステリが問いかける。正義とは正しいのか。(『刑事弁護人』薬丸岳)

登場人物紹介

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