少し苦いけれど、ハッピーになれる現代のおとぎ話

文字数 4,194文字

話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!

そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。

ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。

今回の話題作

伊坂幸太郎『マイクロスパイ・アンサンブル』

文・構成:ふくだりょうこ

■POINT

・音楽フェスでしか読めなかった作品が手のひらに

・苦い成長がハートを強くする

・少し、不思議な、でも勇気のでる物語

■音楽フェスでしか読めなかった作品が手のひらに


「松嶋君って、エンジン積んでないよね」


自分がそう言われたとしたら、褒められていないな、というのはわかる。じゃあ、どうしよう?

エンジンがないと自分で飛び出せない。誰かに背中を押してもらわないと。果たしてはそれはいいことなのか。


伊坂幸太郎『マイクロスパイ・アンサンブル』。

実はこの作品は、2015年から猪苗代湖で行われている音楽フェス「オハラ☆ブレイク」のために毎年書いていたという連作短編だ。そのため、作中には猪苗代湖がメインで登場する。フェス会場でしか手に入れることができなかった作品が、このたび書籍化された。


物語の主人公は、失恋した社会人一年生の松嶋と、虫に乗ることができるぐらいのサイズの、元いじめられっこの”小さい”スパイ一年生。それぞれの仕事やミッションに取り組んでいくが、うまくいくことばかりじゃないし、失敗も多い。そんな2人の物語がやがて交錯する。もちろん、猪苗代湖で。

■苦い成長がハートを強くする


松嶋とスパイの共通点はちょっぴり弱いところだ。

力が強い、弱いという意味ではなく、どちらかというと心が弱い部分もあるのかもしれない。しかし、そこから2人は成長していく。


スパイとなった「少年」は父親から暴力を振るわれ、仲間たちからはいじめられていた。そんな中で勇気を出して暴れ、自分を傷つける環境から逃げ出した。その先でエージェント・ハルトと出会い、スパイになる道を歩んで行く。


一方、松嶋の物語は付き合っていた恋人にフラれた大学時代から始まる。

恋人に言われた「エンジン積んでないよね」という言葉にこれではダメだと就活に精を出し、運良く名の知れた会社に就職することができる。しかし、その努力は報われなかった。恋人はOB訪問で知り合った年上の男性と付き合うことを決め、松嶋をフッた。

フラれても人生は終わらない。松嶋は必死に仕事にくらいついていたが、疲れていた。そんなとき、ある飲み会で女性の体型を揶揄するような冗談を言ってしまう。その場は笑いが起きたが、松嶋は最低の発言だと自己嫌悪に陥る。魚の小骨のように引っ掛かり続けたその出来事は、松嶋をほんの少し強くするきっかけになる。

■少し、不思議な、でも勇気のでる物語


スパイと、イチ会社員。そんな彼らがどんなふうに接点を持つのか。松嶋がスパイの事件に巻き込まれる? いや、実は松嶋は物語の最初のころからずっとスパイたちと接触していた。

スパイたちは虫に乗れてしまうぐらいに小さな生き物だから、そばにいても松嶋はその存在に気がついていなかったのだ。

スパイが敵に追われている中、エンジンのついていないグライダーに乗り込み、飛ばないと焦っていたときに、なぜか飛び立つことができた。それは彼らにとってサイズが大きな“人間”がグライダーを持ち上げ、飛ばしてくれたからだ。それでスパイは九死に一生を得られた。

やがて小さいスパイたちと松嶋は出会い、大冒険に……は、出ない。猪苗代湖を舞台に音楽に耳を傾け、不思議な出来事に「不思議だね」と言い、ほんのちょっとだけ、生活が素敵なものになる。

ハッピーエンドなので、安心して読んでほしい。しかし、それは偶然ではない。小さいスパイや松嶋が成長し、少し強くなったから迎えることができたエンディング。


現代版のおとぎ話、と言われている今作だけあって、「教訓」はやっぱり今の日本を映しだしていて少し耳が痛くなる。でも、それも悪くない。教訓を生かせば、もしかした今より少しだけ幸せになれる人が増えるかもしれないのだから。

今回紹介した本は

『マイクロスパイ・アンサンブル』

伊坂幸太郎

幻冬舎

1430円(1300円+消費税10%)

「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー

「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)

「多様性」という言葉の危うさ(『正欲』朝井リョウ)

孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)

お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)

2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)

「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)

ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)

絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)

黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)

恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)

高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)

現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)

画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)

ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人

人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)

猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)

指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)

“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)

何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)

今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)

「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)

さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)

ゾッとする、気分が落ち込む――でも読むのを止められない短編集(『カミサマはそういない』深緑野分)

社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品(『トリカゴ』辻堂ゆめ)

2つの顔を持つ作品たち 私たちは他人のことを何も知らない(『ばにらさま』山本文緒

今を変えなければ未来は変わらない。現代日本の問題をストレートに描く(『夜が明ける』西加奈子)

自分も誰かに闇を押し付けるかもしれない。本物のホラーは日常に潜んでいる(『闇祓』辻村深月)

ひとりの女が会社を次々と倒産させることは可能なのか?痛快リーガルミステリー(『倒産続きの彼女』新川帆立)

絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか(『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎)

新たな切り口で戦国を描く。攻め、守りの要は職人たちだった――(『塞王の楯』今村翔吾)

鍵を握るのは少女たち――戦争が彼女たちに与えた憎しみと孤独と絆(『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬)

運命ではない。けれど、ある芸人との出会いがひとりの女性を変えた。(『パラソルでパラシュート』一穂ミチ

吸血鬼が受け入れられている世界に生きる少女たちの苦悩を描く(『愚かな薔薇』恩田陸)

3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」(『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織)

ミステリーの新たな世界観を広げる! 弁理士が主人公の物語(『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』南原詠)

大切な人が自殺した――遺された者が見つけた生きる理由(『世界の美しさを思い知れ』額賀澪)

生きづらさを嘆くだけでは何も始まらない。未来を切り開くため「ブラックボックス」を開く(『ブラックボックス』砂川文次)

筋肉文学? いや、ひとりの女性の“目覚め”の物語だ(『我が友、スミス』石田夏穂)

腐女子の世界を変えたのは、ひとりの美しい死にたいキャバ嬢だった(『ミーツ・ザ・ワールド』金原ひとみ)

人生はうまくいかない。けれど絶望する必要はないと教えてくれる物語たち。(『砂嵐に星屑』一穂ミチ)

明治の東海道を舞台としたデスゲーム。彼らがたどり着くのは未来か、滅びか。(『イクサガミ 天』今村翔吾)

自分の友達が原因で妹が事故に遭った。ぎこちなくなった家族の未来は?(『いえ』小野寺史宜)

ある日突然、愛する人が存在ごと世界から消えてしまったとしたら?(『世界が青くなったら』武田綾乃)

あり得ない! 事件を一晩で解決する弁護士・剣持麗子、見参。(『剣持麗子のワンナイト推理』新川帆立)

想いは変わらない……夫婦が織りなす色あせない「恋愛」(『求めよ、さらば』奥田亜希子)

別れ、挫折、迷い。それぞれが「使命」を見つけるまでの物語(『タラント』角田光代)

骨太リーガルミステリが問いかける。正義とは正しいのか。(『刑事弁護人』薬丸岳)

思うようにいかない人生に、前を向く勇気をくれる一冊。(『オオルリ流星群』伊与原新)

読んでいる者の本性を暴く? 爆発を予言する男との息詰まる舌戦!(『爆弾』呉勝浩)

リアルとフィクションが肉薄……緻密な取材が導き出す真実とは?(『朱色の化身』塩田武士)

沖縄本土復帰直前に起こった100万ドル強奪事件! 琉球警察に未来が託される(『渚の螢火』坂上泉)

舞台は公正取引委員会! ノンキャリ女性の奮闘劇(『競争の番人』新川帆立)

思わず「オーレ!」と叫びたくなる! 新感覚の闘牛士×ミステリー(『情熱の砂を踏む女』下村敦史)

孤独な青年が音楽教室を舞台に裏切りと奏でる喜びに揺れ動く(『ラブカは静かに弓を持つ』安壇美緒)

少し苦いけれど、ハッピーになれる現代のおとぎ話(『マイクロスパイ・アンサンブル』伊坂幸太郎)

登場人物紹介

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