生き辛さを嘆くだけでは何も始まらない。未来を切り開くためブラックボックスを開く
文字数 3,224文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
『ブラックボックス』
この記事の文字数:1,361字
読むのにかかる時間:約2分43秒
■POINT
・ひとりの男の転落を描く
・自分と向き合うことは苦しい、しかし、避けて通れない
・今の世の中の生きづらさを読み解く
■ひとりの男の転落を描く
「ずっと遠くに行きたかった。今も行きたいと思っている」
もしかしたら、みな遠くに行きたい、と思っているのかもしれない。「ここではないどこかへ」と言うと、ロマンチックだが、ただ、今を変えたいだけではないのか。
第166回芥川賞を受賞した砂川文次『ブラックボックス』。
自転車便のメッセンジャーをすることで生計を立てている主人公のサクマ。彼はこれまで、自衛隊や不動産業、コンビニなど、さまざまな職を転々としてきた。
もうすぐ30歳。一緒に暮らしている女性もいる。ちゃんとしなければ、どうにかしなければ、という焦りがありながらも、どうにもできずに考えるのをやめてしまう。
結局、こんな日々がなんとなく続いていくのだろうと思っていたが、サクマは自分自身でも止められない感情の暴発を起こし、やがて転落していく。
■自分と向き合うことの苦しさ、しかし、避けて通れない
サクマはずっと、考えている。
自転車で書類を運びながら自身と向き合い、己の中途半端さ、そしてコントロールできない怒りについて悩んでいる。
いつも、その怒りがきっかけで仕事を辞めていた。やめておけばいいのに、と自分でも分かっているのに繰り返してしまう。やがて、怒りが原因で、サクマは自分の状況をますます悪化させていく。刑務所に収容されるという状況に陥ってから、彼は自分自身と向き合い、より深く自分と話し合う。
人は日々の変化の中で、自分に対して気になることがあったとしても目を逸らしてしまう。生きなければならない。生きるためには、働かなければならない。自分自身と向き合っていても、お金は得られない。そうやって自分から目を逸らし続けたサクマだったが、刑務所という向き合わなければならない状況になったことで、自分を見つめ直す。
自分とは何なのか? 自分と対話し、見つめ直してその答えが見つかればいいのだが、そう簡単にはいかない。多くの人は、「自分とは何なのか」を知らないのではないだろうか。
■今の世の中の生きづらさを読み解く
どうして、サクマは転落したのだろう。もちろん、彼自身の性格に起因するものもあるだろう。ただ、サクマから見た世界は最悪だ。息苦しい。
現代の東京を舞台とした今作は、実在する地名が多く出てくる。東京を知っている人ならば、それだけでも作品への没入感が増すに違いない。それに加えて、コロナ禍の生活をさりげなく描いている。コロナ禍がもたらした生きづらさ、孤独がヒシヒシと伝わってくる。
そして近年、若者の焦りを駆り立てる「何者かにならなければならない」という焦燥感。
サクマが考える「ちゃんとしなきゃ」に繋がるわけだが、「ちゃんとしなきゃ」この世界は生きていけない。ちょっと怠ければすぐに脱落し、脱落すれば這い上がれず、鬱憤を溜めていくばかり。
人々がなんとなく感じている生きづらさが言語化されており、「なるほど」と唸るが、言語化されたところで、生きづらさが解消されるわけでもない。ただ、生きづらさの原因を知ることは大事だ。生きやすくするには、どうすれば良いのだろう? できるだけ多くの人がそう考え始めることで、少しずつ世界は変わっていく、のかもしれない。
「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー
・「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)
・孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)
・お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)
・2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)
・「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)
・ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)
・絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)
・黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)
・恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)
・高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)
・現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)
・画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)
・ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人)
・人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)
・猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)
・指1本で人が殺せる。SNSの誹謗中傷に殺されかけた者の復活。(『死にたがりの君に贈る物語』綾崎隼)
・“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。(『神の悪手』芦沢央)
・何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)
・今だからこそ改めて看護師の仕事について知るべきなのではないか。(『ヴァイタル・サイン』南杏子)
・「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)
・さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)
・ゾッとする、気分が落ち込む――でも読むのを止められない短編集(『カミサマはそういない』深緑野分)
・社会の問題について改めて問いかける 無戸籍をテーマとしたミステリー作品(『トリカゴ』辻堂ゆめ)
・2つの顔を持つ作品たち 私たちは他人のことを何も知らない(『ばにらさま』山本文緒)
・今を変えなければ未来は変わらない。現代日本の問題をストレートに描く(『夜が明ける』西加奈子)
・自分も誰かに闇を押し付けるかもしれない。本物のホラーは日常に潜んでいる(『闇祓』辻村深月)
・ひとりの女が会社を次々と倒産させることは可能なのか?痛快リーガルミステリー(『倒産続きの彼女』新川帆立)
・絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか(『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎)
・新たな切り口で戦国を描く。攻め、守りの要は職人たちだった――(『塞王の楯』今村翔吾)
・鍵を握るのは少女たち――戦争が彼女たちに与えた憎しみと孤独と絆(『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬)
・運命ではない。けれど、ある芸人との出会いがひとりの女性を変えた。(『パラソルでパラシュート』一穂ミチ)
・吸血鬼が受け入れられている世界に生きる少女たちの苦悩を描く(『愚かな薔薇』恩田陸)
・3人の老人たちの自殺が浮き彫りにする「日常」(『ひとりでカラカサさしてゆく』江國香織)
・ミステリーの新たな世界観を広げる! 弁理士が主人公の物語(『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』南原詠)