“悪手”は誰もが指す。指したあとにあなたならどうするのか。
文字数 2,439文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
今回の話題作
『神の悪手』芦沢央読むのにかかる時間:約2分57秒
文・構成:ふくだりょうこ
■POINT
・盤上の戦いと棋士たちの壮絶な日々
・棋士は盤上で会話をする
・指してしまった悪手は取り返せない
■盤上の戦いと棋士たちの壮絶な日々
「負けましたと口にするたびに、少しずつ自分が殺されていくのを感じた」
将棋は詳しくないが、対局を目にしたときに敗者が「負けました」と言う姿に胸がうずく。作中にも「負けたときにそれを自ら認める言葉を口にするのは、悔しく屈辱的だからこそ、欠かしてはならない儀式」とある。
芦沢央による『神の悪手』はそんな将棋を題材に扱った短編集だ。
表題作でもある『神の悪手』では、リーグ戦最終日前夜に、主人公・岩城のもとに対局相手の村尾が訪ねてくる。なぜ彼が自分のところにやってきたのか。対局前日は、1秒だってムダにしたくないはずなのに、と岩城は疑問に思う。
棋士の養成機関・奨励会は、26歳までにプロになれなければ退会となる。地元でどんなに「天才だ」「必ずプロ棋士になれる」ともてはやされていても、実際にプロになれるのはほんの一握り。いや、一つまみ程度だ。
村尾は退会の崖っぷちに立たされていた。そんな村尾が岩城に頼んだのは、「ある棋士に勝ってほしい」ということだった。はたして村尾が、岩城が指してしまった悪手とは。
そのほか、震災の避難所に指導対局のボランティアで訪れた棋士と、ある少年の対局を描いた『弱い者』。詰将棋の専門誌で添削指導を行っている男が、14歳の少年から届いた不出来な投稿作から、少年の背景を読み解く『ミイラ』。あるタイトル戦をふたつの視点から描く『盤上の糸』。そして駒師の物語である『恩返し』を含めた5編が収録されている。
■棋士は盤上で会話をする
各短編では対局の様子が丁寧に描かれている。将棋は手の読み合いだ。終盤になると、優勢な棋士のほうがどんどん疲弊していくという。最後の一手まで間違えられないというプレッシャー。なにかひとつでも判断を間違えれば、形勢は逆転する。
対局相手はどのような一手を指してくるのか、どんな戦い方が得意なのか、戦い方からも性格が垣間見える。対局に集中すればするほど、相手について深く知ることになる。はたから見れば(いや、素人から見れば、かもしれないが)静かな対局も、本人たちは実に雄弁に語り合っているのだろう。
『盤上の糸』にこんな一文がある。
「盤を離れて男と会えば他の人間との区別をつけられないが、棋譜を見せられれば、すぐに男のものだとわかった」
それほどに棋士本人の性格や個性が現されている。
将棋を嗜む人、好きな人だけではなく、将棋を知らない人でも棋士たちの背景、命をかけた戦いぶりに感嘆の息が漏れるはずだ。
■指してしまった悪手は取り返せない
作中に登場する人物たちは、盤上だけではなく、普段の生活でも何かしらの悪手を指している。
たとえば、『弱い者』の主人公である北上は、対局相手の“少年”に対して、対局後に悪手を指してしまった。自分の思い込みだけで言葉を発し、“少年”を落胆させた。
結局、あの対局はなんだったのか、と茫然と立ち尽くし、自分の言動を後悔する。後悔したあと、北上はどうするべきなのか。
『盤上の糸』ではほかにもこのような一文がある。『「やり直せることなどない。やり直せたとしても、それは新たに別の道を歩むことになるだけで、この過去が消えるわけではない」
だからこそ、今歩んでいる道を諦めるわけにはいかないのだ。
将棋の対局を、人生に例えるのは野暮かもしれない。ただ、短編それぞれから、どうしようもなく人生を感じてしまう。自分ならばどうするのか、そんなふうに考えながら、読んでみるのも一興かもしれない。
「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー
・「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)
・孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)
・お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)
・2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)
・「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)
・ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)
・絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)
・黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)
・恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)
・高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)
・現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)
・画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)
・ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人)
・人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)
・猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)