絡み合う2つの物語 この世に本物の正義はあるのか
文字数 3,144文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』
この記事の文字数:1,647字
読むのにかかる時間:約3分18秒
■POINT
・主人公は予知能力を持つ国語教師
・ネコジゴハンターが主役のもうひとつの物語もクセになる
・この世界にヒーローはいないのかもしれない
■主人公は予知能力を持つ国語教師
「ヘディングしなさい、ヘディング」
主人公の壇 千種の母がよく言う言葉だ。「頭を使ってよく考えろ」ということらしい。なるほど、つい言いたくなってしまう。
壇も自分の身に危機が迫ると自分に言い聞かせる。「落ち着いてヘディング」。
伊坂幸太郎による「ペッパーズ・ゴースト」。
主人公である中学校の国語教師・壇は父親からある特殊能力を受け継いでいた。それは、他人の飛沫を浴びることで「感染」し、その「他人」が翌日目にする光景が見えるというもの。壇は「先行上映」と呼んでいるが、予知能力のようなものである。
どの時間帯が見えるかはまちまちだが、その日に見る最も印象的なシーンだという。大抵は他愛もない光景だが、時には衝撃的な映像を目にすることも……。しかし、壇は先行上映を見たところで、何もできない。「明日、外に出ると事故に遭うので、家にいたほうがいいですよ」と言って誰が信じるだろう。
でも、そんなとき、教え子の里見が新幹線の脱線事故に巻き込まれる先行上映を見てしまう。悩んだ末に「知り合いの占い師が言っていたんだが」と里見に伝えたことがきっかけで、壇は思いがけない事態に巻き込まれていく。
■ネコジゴハンターが主役のもうひとつの物語もクセになる
作中では、壇が語り手の物語とは別の物語も並行して展開されている。
その物語に登場するのはロシアンブルとアメショー。彼らはSNSで「猫ゴロシ」の配信を支援していた「猫を地獄に送る会」通称ネコジゴに復讐をするネコジゴハンターだ。
猫ゴロシは名前の通り。ネコジゴは猫が殺されている様子を観て、笑い、煽り、こんな殺し方をすればいいんじゃないかと投稿する。ネコジゴハンターはそんなひどい目に遭った猫の飼い主のひとりが10億円で雇ったいわば殺し屋だ。大切な猫が殺された哀しみは計り知れない。しかし、法律ができることは限られている。ならば……ということだ。
ネコジゴハンターの物語は、実は壇が担任をしているクラスの女子生徒が書いた小説だ。その小説を壇が読んでいる……つまり、作中作だ。
この話がどのように本編に関わってくるのか。物語の中盤に、壇の物語と驚きの合流を果たす。
■この世界にヒーローはいないのかもしれない
壇が予知能力を使って大活躍する話か、それとも生徒との交流を描いた話か、もしやネコジゴハンターに物語を乗っ取られるか……というとどれでもない。「そこに着地するのか!」と驚いてしまう。
壇がカッコイイヒーロー、というわけでもない。常に迷っているし、ものすごく良い先生というわけでもないし、おまけに間も悪い。ただ、常に「落ち着いてヘディング」と言いながら、最適解を見つけ出そうとはしている。
では、壇以外にヒーローはいるのか、と言われると首をかしげてしまう。「悪」を倒そうとしている人も何かしらの「悪」を抱えている。
例えば、ネコジゴハンターもそうだ。猫ゴロシは間違いなく悪。ネコジゴも悪。自分が殺された猫の飼い主だったとしたら気が狂うかもしれない。しかし、法律では裁けない。そんなネコジゴに復讐をするネコジゴハンターは正義なのか。彼らは、猫にしたことと同じことをネコジゴにやり返している。つまり、ネコジゴハンターは法律の面から見たら悪なのだ。その雇い主も。
壇だってそうだ。危険が迫っていると分かっていながら、本人に伝えられることは少ない。せいぜい、「今夜牡蠣を食べに行く」という同僚に向かって「牡蠣が当たりそうな時期だから気をつけてください」ぐらいしか言えないのだ。知っているのに言えない。壇にとってはそれは一種の悪だ。
壇が関わっていくことになる出来事にもそんな側面がある。誰が悪で、誰が正義なのか。
もしかすると、全ての人にとっての正義などは存在しないのかもしれない。悪と正義は表裏一体。そんなことについて考えさせられる。
「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー
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・孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)
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