周りの人たちが無視できない? 魅力的な主人公・成瀬の物語
文字数 2,708文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』
文・構成:ふくだりょうこ
■POINT
・みんなの心を掴む成瀬という人間
・「変なやつ」が個性になっていく
・どんな人間か、の定義はあやふやだ
■みんなの心を掴む成瀬という人間
「わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」
もう、この最初の一文で心を奪われてしまう。一体どういうことなの? と。
宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』。同作に収録されている『ありがとう西武大津店』で2021年の第20回「女による女のためのR-18文学賞」にて大賞、読者賞、友近賞をトリプル受賞。本作がデビュー作となる。
物語の中心となる人物はタイトルにもある成瀬あかり。成瀬は幼いころから1人でなんでもできてしまうし、やってみてやれないことがない、というタイプだ。マイペースなせいで周りからは少々浮いてしまいがちだが、本人がそんなことを気にする様子はない。次は何をしでかすんだろうと気を揉んでいるのは周りばかり。
一言で言ってしまえば、成瀬は変わっている。例えば、西武大津店が閉店すると聞いた成瀬はそれから毎日、大津店に通い、ローカルテレビに映り込むことを決める。また、あるときはお笑いをやりたいと言い出し、M-1グランプリの予選に出たりもする。
さらに高校の入学式では突然坊主になって登校して、同じ中学出身の元クラスメイトの度肝を抜く。坊主になった理由は、髪はどれぐらいのスピードでどれだけ伸びるのか確かめたかったから。
多くの人が「自分だったら絶対にしない」と思うようなことを成瀬は大したことではないかのようにチャレンジしようとする。そして周りの人の心をかき乱す。
そんな成瀬を中心とした、成瀬と、成瀬を取り巻く人々の物語だ。
■「変なやつ」が個性になっていく
なんでもできる成瀬。小さい頃は周りから憧れられる存在だった。小さい子どもは純粋だし、「すごい人」には素直に「すごい」と言える。しかし、成長してくると、それは妬みに変わるし、自分と違うことをしている人は排除しようという動きになっていく。一種の同調圧力が成瀬を孤立させる(成瀬は孤立しているとは思っていないけれど)。
しかし、それは学年が上がっていくにつれて変わっていく。確かに、丸坊主にはびっくりするし、新しいクラスメイトたちも驚きはするが、そこまで大きな問題とはしない。多分、それは個性で、本人と話をしてみて面白ければ受け入れる。成瀬は高校ではかるた部に入部するが、そこではすんなりと馴染んでいた。多分、成瀬は笑いをとろうとする「変なやつ」なのではなく、真面目に「変わっている」。飾るわけではなくこういう人間なんだ、と周りから受け入れられ、それが個性だと周りからも思われている。もしかすると、成瀬が進学した高校が合っていただけ、という可能性はあるが、そういった場所を選んでいけるだけの実力を成瀬は持っていた。自分が進みたいと思った道を選べるだけの実力を、身につけておくことは大事なのだということもわかる。
■どんな人間か、の定義はあやふやだ
最後の物語以外は、成瀬以外の人物の目線で進んでいく。中には、成瀬はちらりとしか出てこない作品もある。
その中で際立つのは思春期の「誰かと自分を比べる」という行為だ。
例えば、成瀬と同じマンションに住んでいる島崎は、自分は凡人だと思っている。ちょっと変わった成瀬を間近で見てきており、成瀬の人生を見守るのが自分の務めだと勝手に決めている。
ただ、成瀬は島崎のことを信頼しているようで、何かしようとするときは島崎に一言報告する。ちなみに島崎は成瀬に誘われてM-1の予選にもエントリーした。成瀬視点からすると、島崎はコミュケーション能力が高く、友人も多くてすごい人、という位置付けだ。成瀬と比べることが自分がどんな人間か判断する要素になっている。
そして、成瀬自身は周りが思っているほど完全無欠ではない。島崎が大学進学を機に東京へ行くと聞いて大いに動揺する。いつものリズムが乱れる。
自分が思っているより自分はあやふやだし、他人が見ている自分もあやふやだ。人間はそんなあやふやの輪郭を持った生き物なのだ。だとしたら、「自分らしさ」なんて気にせず、やりたいことを好きにするのがいいのかもしれないと思ってしまう。そうすれば、成瀬でなくても天下をとれる可能性はきっとある。
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