戦争と阿片と。欲望の上に成り立つ世界の成れの果て。
文字数 2,385文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
上田早夕里『上海灯蛾』
文・構成:ふくだりょうこ
■POINT
・戦時の上海を舞台とした阿片を巡る闘争
・地獄の中にある人間同士の関わり
・争いはなぜ起きるのか
■戦時の上海を舞台とした阿片を巡る闘争
「おれは長いあいだ、こういう生活に憧れていたんだ」
人にはそれぞれが欲しい生活、ほしいものがある。しかし、いつの時代もそれを手に入れたとしても維持するのが難しい。そして無理をして手に入れたものほど、失うのは早い。
上田早夕里による長編小説『上海灯蛾』。上海租界を舞台とした「戦時上海・三部作」を締めくくる作品だ。
舞台となっているのは1934年の上海。上海での成功を夢見てやってきた日本人の青年・吾郷次郎。租界で雑貨店を営んでいたが、そこに原田ユキヱという女性が極上の阿片と芥子の種を持ち込む。次郎はこれらを以て上海の裏社会に君臨する青幇・楊直と繋がりを持つようになる。楊直と兄弟の契りを結び、阿片ビジネスに深く関わっていく次郎。黄基龍(ホアン・ジーロン)という中国名を得て、次第に組織の中で力を持ち、望んでいた「成功」を手に入れた。しかし、時代は第二次上海事変へ。阿片を巡って青幇と関東軍の争いも激化、次郎の運命も思わぬ方向へと向かう。
■地獄の中にある人間同士の関わり
触れれば怪我をする。そんな緊張感を保ち続けるのが青幇の楊直だ。次郎としては稼ぐことさえできればいい。しかし、楊直は裏切りを許さない。阿片ビジネスについて深く関わる次郎が逃げれば、それは裏切りとみなされるだろう。次郎は稼ぐだけ稼いだら裏切ろうと考えていることを悟られないように、常に緊張感を持って楊直と接し続ける。
楊直は恐怖の権化のような人物だが、長く関わっていく中で次郎はその人間臭さに触れていくようになる。これがこの物語のひとつの肝となっているのかもしれない。人間というのは多面性のある生き物だ。ただ恐怖しか感じられない人間に対しても、弱いところを見せられると途端に情が湧く。
それは次郎に対しても言えることだった。最初はずる賢く生きようとするだけの男かと思われたが、純粋なところもあり、楊直を支えようとする気概を見せる場面もある。
地獄のような争いが続く中で、人間らしさを見せ、支え合う。そんなシーンを見せられることによって、物語にはより深みが増し、登場人物たちに感情移入をしてしまう。
■争いはなぜ起きるのか
阿片がメインにある作品だが、舞台は第二次世界大戦の真っただ中だ。彼らが関東軍と駆け引きをしている裏、いや表というのかもしれないが、世界中で戦いが繰り広げられている。阿片は、巨大な軍資金を得るためには必要不可欠。利権を得るために騙し騙され……と物語は展開していく。
それぞれが大切なものを守るために奮戦するわけだが、根っこにあるのは生きたいという欲望である。
生きていく上で必要なものを手にしたい。しかし、欲望がひとつ叶えばまた新たな欲望が生まれる。それは人間が成長していくためには必要なことだけれど、誰かの犠牲がないと成り立たない欲望が戦争を引き起こす。そして、誰かが犠牲になれば、その誰かを大切に思っていた人を不幸にし、あっという間に不幸の連鎖が広がっていく。
欲望を持たなければ、誰も不幸にならないのかもしれない。でも欲望がなければ繁栄はしない。そんな矛盾の上に成り立っている世界。そんな世界を見て、どう思うのか。本作を読んだ上で改めて考えなおしてみたくなった。
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