人生はうまくいかない。けれど絶望する必要はないと教えてくれる物語たち。
文字数 3,731文字
話題の作品が気になるけど、忙しくて全部は読めない!
そんなあなたに、話題作の中身を3分でご紹介。
ぜひ忙しい毎日にひとときの癒やしを与えてくれる、お気に入りの作品を見つけてください。
『砂嵐に星屑』一穂ミチ
この記事の文字数:1,710字
読むのにかかる時間:約3分25秒
■POINT
・テレビ局で働く人たちの日常
・人との関わりはワガママでもいいのかもしれない
・人生はなかなかうまくいかないものだけど……
■テレビ局で働く人たちの日常を切り取る
「ぼくは、一瞬、月と金星みたいやな、って思いました」
目元の、妙な場所にあるほくろのことを、異性からそんなふうに言われたら、惚れてしまいそうだ。口説いてるの? そうだったらいいな、と思ってしまいたくなるが、人生はそううまくいかない。
一穂ミチの書き下ろし連作短編集『砂嵐に星屑』。
大阪にあるテレビ局を舞台に、そこで働く4人の日々を切り取っている。
社内での不倫が問題になり、東京に飛ばされていた40代独身アナウンサーの三木邑子。元不倫相手が亡くなったことで大阪に戻されるが、腫れ物扱いをされる。そんなあるとき、局の資料室に幽霊が出ると聞き、確かめに行ったことで不思議な体験をすることになる「資料室の幽霊」。
報道デスクを務める50代の中島。穏やかな性格だが、あることがきっかけで大学生の娘と冷戦状態であることに悩む。職場でも、同期たちが早期退職をし、第二の人生を歩み始めることにどこか焦りを感じる「泥舟のモラトリアム」。
タイムキーパーとして働く20代の佐々結花。同居している男性がいるが、彼はゲイ。ままならない想いを抱える姿を描く「嵐のランデブー」。
そして、非正規の現状にぬるく絶望している30代AD・堤晴一。あるミニドキュメンタリーの制作を任されたことで生まれた気持ちの変化を描く「眠れぬ夜のあなた」。
華やかに見えるテレビ局。そこで働く人たちの多くはただただ真面目に、時折迷いながら、人生に悩みながら生きている。
■人との関わりはワガママでもいいのかもしれない
登場するキャラクターたちはどこか孤独だ。テレビ局という多忙な職場だからだろうか。
「人と会う日は楽しみな反面憂うつ」と結花は言う。別れたあとも、寂しさの反面、ホッと安心もする。
誰かといるのは楽しい。でもわずらわしさもある。そんな人間のワガママが巧みに表現されている。
生きていく中で、人間関係は憂うつであり、救いでもある。干渉を煩わしく思うこともあれば、誰かのおかげで道が開けることもある。ひとりになりたいときはなっていいし、誰かにすがりたいときはすがっていい。人の心は一定ではないのだから。
それに、気まぐれが人と人との関係を変えることがある。ポジティブに変わるか、ネガティブに変わるかは分からないけれど、変わってしまったからといって嘆く必要はない。
自然と、人間関係も「こうでなければならない」と縛られすぎているのかもしれない。自分に正直でいい、付き合いたいようにやればいい、というメッセージが込められているようにも思う。
■人生はなかなかうまくいかないものだけど……
人生とは、うまくいかない。うまくいかないから人生なのだろうか。
この物語に登場する人物たちは、みんな人生がうまくいっていない。たった一言がきっかけで窮地に追い込まれたり、不仲になったり。そんなことで、と思うかもしれないが、小さな「うまくいかない」が人生を乱す。
その「うまくいかなさ」は誰にでもあることだ。それぞれがうまくいかない人生にイライラしているし、悲しんでもいる。
彼らは劇的に状況を変えようとするわけでもない。さまざまな世代のキャラクターが登場するが、20代半ばをすぎれば人生に劇的にことなど起こらないと知っているフリをしたりする。50代になると、新しく何かを始めることを諦めてしまっている人だっている。
しかし、劇的に変わらなくても、今日は絶対に昨日とは違う1日だ。毎日違う日々が重なっていけば、数日後には想像もしていなかった1日になる。想像もしていなかった1日がやってくる可能性がある。そう思えることは、ひとつ希望になるのではないだろうか。
タイトルにある「砂嵐」はアナログテレビ放送を受信するときのノイズのこと。2003年にデジタル放送の導入開始、2011年には完全移行したというから、「砂嵐」を観たことがない、記憶にないという人もいるだろう。
ザーッという耳障り、目障りなノイズ。人生への希望はその中から、星屑のようなものを見つけるようなことなのかもしれない。
「忙しい人のための3分で読める話題作書評」バックナンバー
・「推しって一体何?」へのアンサー(『推し、燃ゆ』宇佐見りん)
・孤独の中で生きた者たちが見つけた希望の光(『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ)
・お金大好き女性弁護士が、遺言状の謎に挑む爽快ミステリー(『元彼の遺言状』新川帆立)
・2つの選択肢で惑わせる 世にも悪趣味な実験(『スイッチ 悪意の実験』潮谷験)
・「ふつう」も「日常」も尊いのだと叫びたい(『エレジーは流れない』三浦しをん)
・ゴッホはなぜ死んだのか 知識欲くすぐるミステリー(『リボルバー』原田マハ)
・絶望の未来に希望を抱かざるを得ない物語の説得力(『カード師』中村文則)
・黒田官兵衛と信長に叛旗を翻した謀反人の意図とは?(『黒牢城』米澤穂信)
・恋愛が苦手な人こそ読んでほしい。動物から学ぶ痛快ラブコメ!(『パンダより恋が苦手な私たち』瀬那 和章)
・高校の部活を通して報道のあり方を斬る(『ドキュメント』湊かなえ)
・現代社会を映す、一人の少女と小さな島の物語(『彼岸花が咲く島』李 琴峰)
・画鬼・河鍋暁斎を父にもったひとりの女性の生き様(『星落ちて、なお』澤田瞳子)
・ミステリ好きは読むべき? いま最もミステリ愛が詰め込まれた一作(『硝子の塔の殺人』知念実希人)
・人は人を育てられるのか? 子どもと向き合う大人の苦悩(『まだ人を殺していません』小林由香)
・猫はかわいい。それだけでは終われない、猫と人間の人生(『みとりねこ』有川ひろ)
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・何も信用できなくなる。最悪の読後感をどうとらえるか。(『花束は毒』織守きょうや)
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・「らしさ」を押し付けられた私たちに選ぶ権利はないのか(『川のほとりで羽化するぼくら』彩瀬まる)
・さまざまな「寂しさ」が詰まった、優しさと希望が感じられる短編集(『かぞえきれない星の、その次の星』重松清)
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