第83回/夫が加入している保険の数を数えたら、両手では足りなかった

文字数 2,238文字

 稀代にして奇態、現代を生きる伝説の漫画家・カレー沢薫がtreeに帰還!


前作「ひきこもり処世術」で大ひきこもり時代を総括したひきこもり・ジェダイ・マスターが次に取り上げるのは……「お金」!


お金にまつわる四方山話を集め資産2兆円(脳内)を目指すカレー沢薫の旅がつづく。

前に、私は生命保険や医療保険に5つほど加入しており、扶養家族なしの自由業にしては、いささか入りすぎなのでは、という話をしたと思う。


私がこれだけ保険に入っているのは、巨大モーター的な生業をしようとしているからではない、そうだとしたら、己をゴルフクラブやゴルフボール入りの靴下で殴打しなければいけなくなる。


何度も言っているが、保険関係の仕事に関わっている夫のつきあいで入っている。

保険会社勤務なら仕方がない、この限界集落で家族に不審死を出さずに暮らしたければ町内会に入れというのと同じで、もはやそれは必要経費ですらなく生命維持費なのだろう。


そういえば、昔いた会社では、ダイハシではない某車会社の現場に入る時、わざわざ知り合いに某社製の車を借りて入場していた、おそらく他社メーカーの車で入ったら出禁、もしくはストⅡのボーナスステージみたいにされるのだろう。

このように、社員が自社製品を購入、使用するのは思った以上に大事なことであり、逆に言えばそういう暗黙の了解に従えず、青山の入社式に感動ジャケットで行ってしまうタイプだから、私はフリーランスをやっていると言える。


だが夫の会社は厳密には保険会社ではない。

言わば、社長が手広くやろうとしすぎているせいで、グルコサミンサプリを買わされている運送会社社員みたいなものなので、家族は余計腑に落ちないのだ。


私でも5つ入っているということは夫はもっと保険に加入しているはずである。

まさか製針工場勤務の夫より、妻の手の甲に刺さっているまち針の本数が多いみたいなことはないだろう。


だが、夫が借金しているのに気づいていたとしても、その額を聞くのは勇気がいるし、不倫してても愛人の詳細はあまり聞きたくないものだ。


しかし今年、夫が当然のように自社の証券口座で新NISAをはじめることになったため、その話の勢いで「ふーん、で、君は結局今保険にいくつ入っているの?」


ここで「オウフ」と言い出さないのが、夫の良いところであり、私と相容れぬところである。


そして夫は草を1本も生やすことなく、無言でスマホの画面を見せて来た。

それは夫の銀行口座の明細であった。最近はどこの金融機関も自社アプリを持っており、スマホで口座の残高推移をリアルタイムで知ることができる。


つまり「明細に記されている保険の引き落としの数を数えれば保険数がわかる」ということらしい。

夜の足音やあなたのキスではなく、保険の引き落としを数えるとは思わなかったが、数えてみると両手の指では足らないことが判明した。ちなみに私は反社に所属して下手を打った経験はない。


指以上の数は「たくさん」と把握しているので、自信はないが、おそらく夫は「12」ほど保険に入っている。


おそらくこれは、一般家庭であれば一悶着起こる数字である。

だが残念なことに、私には夫に指摘されたら困る問題点が両面宿儺の指より多いため、深く追求することはできなかった。


先日、超高齢化によるニーズに応え、最近は民間でも介護保険や認知症保険があるらしい、という話をしたが、もちろんいつの間にか両方入っていた。さすが抜かりがない。


もはや自分がそれでいいなら好きにしろとしか言いようがないが、意外だったのが、私が保険の数を聞いても、夫が躊躇なく答えたことである。


私であれば、今年の課金額を尋ねられても、「最近はそれほどでもない」みたいな答弁をするはずである。

それも口頭ならいくらでも数をごまかせるのに、わざわざ口座という証拠まで出してきており、愛人について問い詰めたら「銀河一ラブ」と書かれたツーショットプリクラを見せてきたかのような威風堂々ぶりである。


もしかしたらその口座は目くらましであり、もう一つ、24の保険の引き落としがある口座が存在するのかもしれない。


もしかしたら夫は割と自分の会社と仕事のことが好きなのかもしれない。


夏がダメだったりセロリが好きだったりする人がいるように、この世には仕事や会社のことが好きという好事家がいるのだ。


そういう人は、社員は自社製品を使えという縛りに対しても「ラパソ乗りてー」などとは思わず、喜んでハイゼッとかで現れるだろう。


夫も会社が好きで自社製品に自信を持っているとしたら、いくら保険に入らされても苦ではないし、まして隠さなければいけないなどとは思わないのだろう。


家計的には全く良くないが、自分の仕事に誇りを持つのは良いことである、私もそれぐらい堂々と自分の仕事のことを明かしたいところだが、今のところ仕事について尋ねられたら「家でやる仕事です」というボンヤリした回答か、「無職」と聞こえるように「無所属です」と早口で言うことしかできない。


だがいつか、仕事について尋ねられたら、夫のように自分の著作が入ったスマホを無言で差し出し、その場で読ませたいところである。


ちなみに今それをされたら、全身から血を噴き出して死ぬ。

カレー沢薫

山口県在住の漫画家・コラムニスト。最新作に『ひとりでしにたい』原作(講談社)など。

X(旧Twitter)はこちら:@rosia29

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