第74回/存在の耐えられない4桁万円

文字数 2,364文字

稀代にして奇態、現代を生きる伝説の漫画家・カレー沢薫がtreeに帰還!


前作「ひきこもり処世術」で大ひきこもり時代を総括したひきこもり・ジェダイ・マスターが次に取り上げるのは……「お金」!


お金にまつわる四方山話を集め資産2兆円(脳内)を目指すカレー沢薫の旅がつづく。

先日某出版社に行き、連載をしている雑誌の編集長にあったのだが、その編集長は妻が保険会社勤務だという。


基本的に編集者は全員敵である。

それ以前に我々が厚生年金に心を許すなどあってはならないし、その溝はインボイスによりさらに広がった。

しかし、こいつも無駄に4つも5つも保険に入らされているかと思うと、他の編集者よりは親近感がわく。

しかも我が家は、保険の話をになると空気がキンキンに冷えてカイジが普通に頭痛を起こすため、夫はもはや私に保険に入れとは言わなくなっている。

だが編集長の妻はまだ保険に入れ足りないようで、最近勧めてくるのが「認知症保険」だそうだ。


それは介護保険と何か違うのか、というと言わば認知症保険は「がん保険」の認知症バージョンである。

私の入っているがん保険は、がんによる入院や手術の際に保険金が下りるが、それとは別にがんであると診断された際に、がん確定ボーナスとして50万ほど支給される。


それと同じように、認知症保険は認知症と診断された時、認知症確定ボーナスとして多くて4桁万円程度の一時金が支給されるという。


ここまで嬉しくない4桁万円が、未だかつて存在しただろうか。

がん確定ボーナスも相当嬉しくなかったが、こちらはそれを凌駕する勢いでテンションが上がらない。


がんと認知症なるならDOTCHという、人を嫌な気分にさせるためだけの質問をしたら、意外と「がん」と答える者の方が多いのではないだろうか。

実際「がんになって死にたい」などと口走ったら「なぜそんなことを軽々しくいう奴が痔にすらならず、のうのうと生きているのか。今すぐその腐れ寿命を欲しい人に分配してから死ね」という顔をされるが「ボケて長生きするよりは、ちょうどいいぐらいで死にたいよね」と言うと、大体の人間が同意するのである。


つまり人間は、死自体よりも死に至るまでの苦しみや、自我がなくなることの方を恐れているのではないか、ということだ。

しかし、自我が失われる前のちょうどいいところで死ねないから、認知症保険なるものが生まれているのである。


がん保険が存在するのも、日本人が高確率でなりやすいからである。もはやそれと同じレベルで日本人は最終的にボケる確率が高くなっているということだ。


これはボケやすくなったというわけではなく、昔はボケる前に死んでいたが、今では医療発達や栄養状態がよくなったおかげで、逆に「ボケるまで生き続けるようになった」からではないかと思われる。

また昔はボケたとしても家族の支えで逃げ切れていたのかもしれないが、家族形態が大きく変化した今、そんなことをしたら共倒れになってしまう。

もはや介護は外注を挟むのが前提であり、その費用を確保するための介護保険や認知症保険というものの需要が生まれたのである。


なりやすい疾病に備えるという意味では、がん保険と認知症保険は似ているのだが、加入者の傾向はおそらく逆なのではないかと思う。


家庭持ちでがん保険に入っている人ももちろん多いだろうが、どちらかというとがん保険は単身者の方が入っておくべき保険である。

何故なら、医療費だけであれば医療費限度額制度でなんとかなるかもしれないが、もちろんその間にも生活費など諸々の出費がある。

もし単身でがんになり働けなくなったら、その時点で生活が詰んでしまうかもしれないし、またはがんだけど休むこともできないという状況に陥るかもしれない。

そこで生きてくるのが、がん確定ボーナスや休業補償などの保険である。


逆に単身者で認知症保険に入ろうという人間は、かなりレアだろう。

入ったところで利用の際にはすでに認知症なのだ、保険の存在すら覚えているか危うい。

よって認知症保険に加入を検討するのは、大体いざというとき子供に迷惑をかけたくないという親世代である。

つまり「老後は子供にたよるという発想では家庭内殺人事件が起きる」認識が広がってきたということだ。


ちなみに民間の介護保険に入るかどうかは任意だが、我々には40歳になると強制的に支払わされる国の介護保険がある。

こちらは介護サービスの利用料や、自宅をバリアフリー化する工事する時などに、補助金が出される保険だ。


しかし民も公もまず「介護認定」がされなければ、保険を利用できないのではないかと思う。


この介護認定がかなり杓子定規なため、明らかに要介護なのに認定がされなかったり、実情と介護度が見合っていないケースが割と多く、問題になっているらしい。


また「要介護度」と「世話の大変度」は全く別物という意見もある。

うちの実家は祖母と父が要介護だが、90代半ばの祖母が介護度1で父がMAXだ。ちなみに二人とも認知症ではない。

細かい基準は不明だが、父は車いすなのに対し、祖母は歩けるため、その点が介護度を大きく下げてしまっているような気がする。


しかし現実の介護の場においては「歩ける」という神の一手が世話の余計難易度を爆上げしているケースもあるだろう。


そして一生要介護にならなければ、介護保険は見事払い捨てとなる点も、民と公共通である。


だが「元を取るために絶対要介護になってやる」やはり思わない、介護保険料をドブに捨てたというなら、それはそれで幸運な人生だったと言える。

カレー沢薫

山口県在住の漫画家・コラムニスト。最新作に『ひとりでしにたい』原作(講談社)など。

Twitterはこちら:@rosia29

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