第10回 私がコーラを抱いて泣き叫んだ日
文字数 2,365文字
稀代にして奇態、現代を生きる伝説の漫画家・カレー沢薫がtreeに帰還!
前作「ひきこもり処世術」で大ひきこもり時代を総括したひきこもり・ジェダイ・マスターが次に取り上げるのは……「お金」!
お金にまつわる四方山話を集め資産2兆円(脳内)を目指すカレー沢薫の新たなる旅が始まるーー。
去る8月10日は夫の誕生日であった。
無職にとってはいつも通り休日であったが、世間一般からすると平日だったようなので、祝いは後日するとしてその日は特に何も用意していなかったのだが、実母より「誕生日祝いの品を持っていく」と連絡があった。
私の母は私の誕生日だけでなく、夫の誕生日にも欠かさず何かくれるのである。
なぜこんな社会性のある人間から、私のような「妖怪手ぶら」が生まれたのか。
それは「父親似」の一言で説明がつくと言えばつく。
先日も夫に「あなたはお父さんに似ている、本当に似すぎている」と、全く肯定的ではないトーンで言われたので間違いない。
私は再三自分のことを「親父のクローン」と言ってきたが、他人に言われると染み入るものがある。
否定目当てで「私ってブスだから」と言ったら、周囲が誰も異議を唱えずそのまま可決された気分だ。
しかし私が父親似なのは性質だけではなく、「無職のひきこもりで社会性のあるパートナーに寄生して生きている」という生き方まで完コピなのである。
このことから社会性のない生物は社会性がない代わりに社会性の匂いを嗅ぎ取る「嗅覚」が発達することがわかる。
社会性だけではなく「世話好き」や「共依存体質」の匂いも敏感に察知し、そういう相手を捕獲することで生き延びているのだ。
会社の頼れるパイセンの家に遊びに行ったら、家にすごい穀つぶしを飼っており、あいさつなしはもちろん客の前でも平気で舌打ち恫喝、これまた躾のなっていないペットだが、畜生だから仕方ないと思っていたらパイセンの恋人だった、というのはよくある話である。
しかし、吸われている側の宿主がそれを苦痛に感じているかというと、自分にペットボトル大の針がぶっ刺さっていることにすら気づいてなかったりするし、周囲がそれを指摘しても「でもあの人は私がいないと生きられないし」というようなことを、Siriみたいな音声で自動再生するようになっているので生物界というのはよくできている。
ただ寄生する側も寄生先が見つからなかったり、宿主に逃げられると生活していけないというリスクがある。
特に耐用年数が高い宿主に長年寄生してきたものは、「宿主より先に死ぬ」というミッションを完遂できないと悲惨なことになる。
父はこのペースでいくとミッションコンプリートしそうなので、その点でもさすがと言えよう。
そんなわけで、母にとって父のクローンである私は、未だにお世話対象でしかないので、会うたびに施しをしてくれる。
今回も夫の誕生祝いとして食べ物をもらったのだが、その中に「コーラ」が入っていた。
私は今年40歳になるが、母にとっては未だにコーラ大好きっ子というイメージなのだろう。
そしてそのイメージは全く間違っていない。自分で買うことは滅多になくなったが、もらえるとなれば、会社で通りもんが配られたレベルの祭感を感じる。
しかし「懐かしいな」と、昔よく撃ったマグナムを手に取る感覚でコーラのペットボトルを持った瞬間、「誰だお前は」と思った。
マグナムがリボルバーになっていたのである。
カレー沢には値上げがわからぬ、カレー沢は値札を見ない。どれだけ値上げと騒がれようと、コンビニでチルドカップ飲料を買って暮らした。だが内容量の方を減らされるステルス値上げには人一倍敏感であった。
今年は円安やウクライナ侵攻の影響でほぼ全てのものが値上げされているらしいが、私は平素から値段というものをあまり気にしてこなかったので、今までの値上げも精神的には特に影響を受けたことがない。
ただ金銭的にはバッチリ影響を受けており、「知らないうちに金がなくなっている」という現象は増えたと思われるが、それはいつものことである。
しかし、現在のコーラを手に取った瞬間、ヘレンケラーが「ウォーター!」となったように「コォーラー!」となり「値上げ」というものの意味を真に理解することができたのだ。
こちらがどれだけ、収入を増やしたり節約をしようとしても、物価自体を上げられてしまったら無意味である。
この値上げにどう対応したらいいかというと「収入を増やし節約する」という、鬱の人間に「もっと頑張れ」というようなアドバイスしか見当たらなかった。
しかしそもそも今回の値上がりは円安も原因になっている。円安にはメリットとデメリットがあるので、この円安を活かして何かできるかもしれない。
円安になると輸入価格が上がってしまい、現在のように値上げというデメリットが起こってしまうが、逆にいえば「輸出が捗る」というメリットがある。
一般家庭に「輸出しろ」というアドバイスはあまり実用的ではないし、最悪なんかの下ネタと思われてしまうかもしれない。
一個人ができる、円安や円高に対する行動といえば外貨取引ぐらいしかないのではないか。
円安ということはドルが高くなっているので、円高の時ドルを購入しておけば現在のように円安ドル高になった時儲かる、ということだ。
そういえば私もなぜか少しドルを持っている。だが、購入時いくらだったのか、そもそもなぜ持っているのかも覚えていないので、得をしたのかどうかも不明である。
やはり買い物というのは値札を見てからしたほうが良い。これだけは確かだ。
山口県在住の漫画家・コラムニスト。最新作に『ひとりでしにたい』原作(講談社)など。
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