第27回 「こどおじ」と「こどおば」のための「黄金の精神」ッ!
文字数 2,638文字

稀代にして奇態、現代を生きる伝説の漫画家・カレー沢薫がtreeに帰還!
前作「ひきこもり処世術」で大ひきこもり時代を総括したひきこもり・ジェダイ・マスターが次に取り上げるのは……「お金」!
お金にまつわる四方山話を集め資産2兆円(脳内)を目指すカレー沢薫の新たなる旅が始まるーー。

いつ頃からか「こどおじ・こどおば」という言葉が世間で使われるようになった。
昔の日本にあったとされる恐怖の因習「おじろく・おばさ」のような響きだが、こちらもある意味ホラーカテゴリとして語られることがある。
「こどおじ・こどおば」とは「子供部屋おじさん、またはおばさん」の略である。
成人しても実家を出ず、子供のころ使っていた部屋でキキララの学習机を使い続けている大人のことを指し、キキララ部分に何が入るかで世代もわかる。
「自立してない大人」を指す蔑称として使われることが多いのだが、実家に住んでいる=自立してない人と断ずるのはいささかバイオレントである。
まず、伝えたいのはこどおじこどおばは「ひきこもり」や「ニート」と同一視されていることがあるが、普通に働いている場合も多く、家に生活費を入れているか、むしろ実家を支える柱である場合すらあるということだ。
世の中には、進学、就職などを全て「実家圏内」で済ませる真のミニマリストがいるのだが、そんな彼らにとっては実家を出る必要が特にないのである。
欧米では必要があろうがなかろうが成人した子供は家からたたき出すため、それと比較して大人になっても実家を出ないのは「自立していない」とみなす向きがあるようだ。
なぜいきなり日本人が日本人を欧米的視点でジャッジしだすのか謎だが、出る必要がなくても、自立や自由を謳歌するために実家を出る人はいる。
しかし「コスト」の面で考えると「最強伝説実家」のはじまりであり「実家暮らしの時は順調に貯金できた」という者は多い。
国が自分の老後は自分でなんとかしろと暗に言ってくるこの乱世である。
貯蓄を少しでも増やそうと思ったら、できるだけコスパの良い生活をするにこしたことはない。
また、実家に依存するどころか、親の健康問題など、むしろ実家のために実家に残ったり帰ったりしている者もいるはずである。
そんな戦略的実家暮らし、献身的実家暮らしまでが「こどおじ・こどおば」と呼ばれ、自立できない人扱いされるのはあまりにも酷である。
つまりただ「実家にいる人」を見境なく呼ぶのではなく、もっと「中身」を見て判断してほしい。
現在私の部屋は、誕生日にいただいたお菓子であふれかえっている。
「お菓子」と言っても、カヌレやフィナンシェなどではなく、主にグミ、スナック菓子、そしてアメリカンキッズの主食M&Mなどであり、タンブラーには濃いめに作ったカルピスが入っており、もちろん床にニンテンドーswitchが転がっている。現在ポケモンを始めるか否かで長考中だ。
これこそが真の子供部屋に住んでいるおばさんの姿なのではないか。
そんな私を差し置いて、実家に住んでいるというだけで、普通に会社勤めや家事など社会生活を営み、加湿器と多肉植物が置かれた部屋でオイコスとかを食っている中年が、こどおじやこどおばの称号を手に入れているのは逆に納得がいかない。
「子供部屋に住んでいる」などという外側だけではなく「いかに大人としての活動をしていないか」そして「言動が子供っぽいか」など内部調査をした上での判断を強く望む。
そういう意味では年末年始は、こどおじこどおばとしての資格を世間にアピールする、絶好のチャンスと言える。
こどおじこどおば検定で百点満点なのは「親戚が集まっているのに子供部屋から出てこない」である。子供のまま大人になったというだけではなく、未だに「思春期」が終わっていないということも同時に示す高度なテクニックだ。
ここで親からの「〇〇ちゃん、叔母さんら来とるから出てきい」などの声がかかればさらに加点を狙える。
親をはじめ親戚一同からいない者として扱われているというのは逆に減点である。そこまでいくとひきこもりやニート色が強くなりすぎてしまう。
こどおじやこどおばは「いくつになっても一族の末っ子」という、もっとほほえましい存在でなければならない。
そういう意味では私は親戚の集まりには一応顔を出してしまうので、この時点でかなりポイントを落としてしまうのだが、まだ稼ぎどころは残されている。
まず「動かない」ことが肝要だ。
親戚が集まった時、お茶を用意しようとしたり座布団を人数分並べたりしようとするなど、動こうとする、もしくは「動く気があるアピール」をするのは大人のやることだ。
どれだけ周りの大人が落ち着きなく「とりあえず何かしようとしているポーズ」を取り続けていても動揺することなく、たまに退屈そうにスマホチェックする以外は動かざること山の如しを貫くことが肝要だ。
また親戚の集まりに本物の子供がいればチャンスである。
「子供力は真の子供を前にした時が一番出る」と言われている。
「大人」というのは「子供」を前にすると気を遣って「いくつになったの?」「学校では何習っているの?」などとどうでもいい話題を振ったりするものなのだ。
先日結婚式に参列した時近くの席の人がまさに「学校で何習ってるの質問」をよその子供に繰り出し、子供の「ひっさん」という、完全に終わっている返答を前に「えっもうひっさんならってるの?すごい! 俺たちがそのぐらいの時はまだひっさんやってなかった気がする!」と漲る大人力を発揮していた。
しかし、子供力の高い大人はむしろ子供相手の時の方が無口になる。
子供が子供に気を遣うわけがない。それどころか「自分は永遠に気を遣われる側」と思っているのが、真のこどおじこどおばである。
むしろ子供の方から「おばさん何やってるの?」と聞いてこいと思っているが、その質問も普通に困る。
よって子供と対峙すると「無言」になり、それが続くと相手の子供も「この大人は異質である」と気づき、あまり近寄ってこなくなる。
つまり「子供に認めらてこそ本物」ということだ。
今年も私の本物ぶりを見せつけに行ってくる。子供に「年をとるだけが大人になることではない」と、教えてやるためにも。
山口県在住の漫画家・コラムニスト。最新作に『ひとりでしにたい』原作(講談社)など。
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