プレーンオムレツとギネスビール

文字数 1,124文字

 その日、私は銀座あたりをふらふら歩いていた。遅い昼食をとりたかったのだが、中途半端な時間だったため、準備中の札を下げている店ばかりが目についた。
 諦めかけたとき適当なビストロを見つけた。中を覗くと多くの女性客とわずかな男性客が午後の時間を楽しんでいるようだったので、入りやすそうだと思いすぐ入った。
 隣席の若い二人の女性客は、ぶ厚いステーキにざくざく切られたフレンチフライが添えられた皿をテーブルの中央にどかんと置いて、ビールか何かを飲んでいた。最近油っぽい食べものを卒業した私は枝豆のスープにプレーンオムレツ、さらにギネスビールを頼むことにした。
 きれいな黄金(こがね)(いろ)に焼けた、ぷっくりしたプレーンオムレツにギネスビールというのは私にとって初めての組み合わせだった。が、これがとても美味しかった。無骨で重みのあるギネスビールの味わいに、オムレツのとろりとしたまろやかさがぴったりで嬉しくなった。そのあと気分が乗って給仕の方と「グラスワイン追加で。あとチーズの盛り合わせは三人前とありますけど、一人分だけできますか」「たぶんできると思います」というやり取りをしたのも楽しかった。枝豆のスープを途中で引かれそうになったときは、「まだ残ってます」と言えたのもよかった。何がって、交渉できたからだ。
 交渉、というのは対等な響きがあっていい。一方で世話を焼くという行為の裏に、脅しの2文字がチラつくのを感じるのは私だけだろうか。少し前の自分がそんなことばかりやっていたから、よけいそう思うのかもしれない。
 今回文庫化にあたり、「主人公のこの部分の心理や背景が見えてこない、埋まらない」と単行本発行時に思っていた穴を埋めることができた。三年経ってやっと「これだ!」というピースが見つかって、ほっとしている。もしかしたら、プレーンオムレツにはギネスビールがぴったり、という未知の美味しい組み合わせに気づけた今だからできたことなのかもしれない。



麻宮ゆり子(まみや・ゆりこ)
1976年埼玉県生まれ。大学非常勤講師。2003年小林ゆり名義にて第19回太宰治文学賞受賞。'13年、「敬語で旅する四人の男」で第7回小説宝石新人賞を受賞しデビュー。'14年、同作を収めた『敬語で旅する四人の男』を刊行。他の著書に『仏像ぐるりのひとびと』『花電車の街で』『下町洋食バー高野 ビーフシチューとカレーは何が違うのか?』など。

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