死とは何か

文字数 1,023文字

 文庫化にあたり再びゲラを読みながら、執筆していた当時を思い出した。単行本の発売が2020年3月、ちょうど最初の緊急事態宣言が出る前だった。新型コロナウイルス感染者はまだ全国でも二千人を超えるくらいだったが、ワクチンもない時期で未知のウィルスが世界中に不安と混乱をもたらした記憶がよみがえる。本作を書き上げたのは2019年の末頃で、まだ世間はマスクがいらない時代だった。ちょうどその頃父が入院したため、病室で看病をしながら原稿を書いていた。父は多発性骨髄腫を患っており、インフルエンザを併発してかなりの重症だった。年末年始をほぼ病室で過ごし、ひと月近く治療を続けたが回復しなかった。二ヶ月ほど後であれば病室にも入れず死に際にも立ち会えなかっただろう。その後のコロナ禍を考えれば近くで看取れたのは幸運だったといえる。
 病室で原稿と向き合いながら考え続けたことがある。人はなぜ死ぬのか。なぜ死ななければならないのか。近親者の死を前に死が避けられないものだと気づかせられる。ただ、本当に死を意識するのは自分自身が余命宣告された時だろう。生まれた瞬間から死に向かっているのに人はそのことをどこか脇に置いて生きている。スティーブ・ジョブズは「死は生命の最高の発明だ」と語ったが、そのジョブズも死を望むものはいないと言っている。
 この物語では死から逃れようとする人、死の恐怖を克服しようとする人たちが登場する。死とどう向き合えばいいのかを語るのは難しい。なぜなら誰もその体験を伝えられないからだ。そうした切実な思いを受け止めてくれる何かを物語の中で模索している。
 本作は冷凍倉庫で死体が発見されるというシーンで始まるミステリーだが、普段脇に置いている死について想像を喚起する物語でもある。登場人物たちは余命宣告され、初めて生きる意味を考える。人間にとって死とは何なのかという問いこそが最大のミステリーなのかもしれない。



辻寛之(つじ・ひろゆき)
1974年富山県生まれ。埼玉県在住。
2018年に『インソムニア』(『エンドレス・スリープ』改題)で第22回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、デビュー。著書に「麻薬取締官・霧島彩」シリーズなどがある。

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