おめでとう、そしてお疲れ様

文字数 1,315文字

『アネモネの姉妹 リコリスの兄弟』を書いて以来、多くの方を対象にしたアンケートをもとに小説を書くことが一つのスタイルになった。兄弟姉妹というありふれたお題にもかかわらず、想像の斜め上をいく回答の数々に圧倒され、「事実は小説よりも奇なり」を実体験することになったからだ。心の底から思う。この世の中に、平凡な人間は一人もいない。誰もがすごいドラマを持っている。
『お誕生会クロニクル』は、「お誕生会」に関するアンケートから生まれた作品だ。忘れられない誕生日の思い出について回答を募ったところ、楽しかったことより、どちらかというと切なかったり、失敗したり、残念だったりした誕生会のほうが、多くの方の記憶に残っていることが判明した。歳をとる、すなわち生きていくということは、やはりおめでたいことよりも(にが)いことのほうが多いのかもしれない。
 そして、この作品を語るときに避けて通れないのが、「コロナ禍」だ。杉江松恋さんによる過分にして美しい解説でも触れて頂いているが、本作の連載を開始したのが二〇一九年の八月。このときには、世界中に蔓延することになる疫病の存在など想像だにしていなかった。ところが、連載終了時の二〇二〇年の春には、最初の緊急事態宣言が発出される事態へと陥った。作中でコロナを書くか書かないかは、当時の作者にとって、大きな問題だったはずだ。奇しくも『お誕生会クロニクル』の主要登場人物は、小学校の教員やスーパーの店員。所謂、エッセンシャルワーカーだった。自ずと彼女や彼たちはコロナ禍の渦中に立たされることになった。
 今、本作を読み直すと、緊急事態宣言が発出される直前の、先行き不明の心細さが色濃く甦る。〝私怖いよ。この先どうしたらいいのか、全然分からないよ〟という登場人物の吐露は、当時の自分の気持ちそのままだったと思う。
 現在もウイルスの脅威がなくなったわけではないが、コロナ禍を通過点にしつつ、私たちは戦争や震災等、様々な新たな問題に直面している。本当に、生きていくことは一筋縄ではいかない。
 しかし、だからこそ、私たちは誕生日を「おめでとう」と寿(ことほ)ぐのかもしれない。そしてその言葉の本当の意味は、ひょっとすると「どなた様もお疲れ様です」という(ねぎら)いなのかも分からない。



古内一絵(ふるうち・かずえ)
1966年、東京都生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。「銀色のマーメイド」で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。’18年に『フラダン』で第6回JBBY賞・文学作品の部門を受賞。著書に「マカン・マラン」シリーズ、「キネマトグラフィカ」シリーズ、NHKでテレビドラマ化された「風の向こうへ駆け抜けろ」シリーズ、『鐘を鳴らす子供たち』『最高のアフタヌーンティーの作り方』『星影さやかに』『山亭ミアキス』『百年の子』など多数。

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