本の中の美味なる一皿

文字数 1,032文字

 突然だが、私はおいしいものが大好きだ。とくにグルメを気取る気もない雑食だが、春の季節なら土筆(つくし)に菜の花、ふきのとう。あのほろ苦さがたまらない。ムベの新芽もさっと油で揚げて熱々の天ぷらにしていただくとそれだけで顔がほころぶ。香ばしく炙った肉や魚、口の中を清涼にする酢の物やおひたし、汁、白米、食後の甘味まであれば完璧だ。
 とはいえ人の胃袋には限りがある。欲求にまかせて食べ続けることはできない。そもそも腹が満ちれば一皿のうまさも半減する。健康にもさわる。どこかで線を引かなくてはならない。だからだろうか、私は食べ物が出てくる本を読むのも大好きだ。口いっぱいに美味をほおばる登場人物を目で追えば、自分まで幸せになれる。バケツいっぱいのプリンに野原で焼いたお日様色の大きなカステラ、迷い込んだ山中でジプシーたちに飲ませてもらった虹のミネラル。読書を愛する者なら一つは実物を見たい、食べたいと願う一皿の記憶があるのではないか。私も憧れの美味にはことかかない。歯にくっつくできたてのタフィーにウサギ小屋でかじるメロンの皮といった登場人物の失敗談に結びつく物までもがやたらときらきら輝いて見える。敗走中に肌着と引き換えにして食べた冷や飯にざっくり切られた青菜の漬物、そんな素朴な飯ですらが愛おしい。食い意地がはっているのである。
 そんなわけで私は物語を書くときにはついつい食べ物を入れてしまう癖がある。今回、書かせていただいた『後宮女官の事件簿(二)月の章』にも様々な食べ物が登場する。なにしろ世界三大料理の一つ、中国料理発祥の地である中国風の国が舞台なのだ。先日は趣味と実益を兼ねて中国料理の全集をそろえてしまった。色鮮やかな料理や未知の素材の数々は眺めるだけでも楽しい。とはいえ今はまだそれらの魅力を作中に反映できていない。料理名を並べただけだ。本を開くだけで腹が鳴る。そう思わせる筆力が足りていない。が、いつかは私も人の記憶に残る一皿を書けるようになりたいと思う。



藍川竜樹(あいかわ・たつき)
兵庫県出身、在住。やぎ座。著書に『神戸北野 僕とサボテンの女神様』『女王ジェーン・グレイは九度死ぬ』『鬼愛づる姫の謎解き絵巻』『後宮女官の事件簿』などがある。

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