死より生まれ出づる始まりの物語

文字数 1,151文字

 十代の頃から、ぼんやりとした希死念慮を抱いていた。正確には「死にたい」というより、「生まれなければよかった」という気持ちの方が強かったが、死ぬという選択肢が常に眼前にあって、私に囁きかけて誘惑していたのも事実だった。
 天才は早逝しなければならず、長生きするのは天才の面汚しだ――そう思っていた私は 二十代も半ばを過ぎた頃、自分が天才ではないという事実を受け入れていた。それでもなお、死の想念が頭にこびりついて離れなかった。
 そして、ある日の通勤電車の中で、「死ぬ」という言葉が唐突に下りてきた。皮肉にもその言葉が『独り舞』という小説を生み出し、李琴峰という作家の誕生に繋がった。思えば、私はこの小説の誕生とともに一度死に、生まれ変わったのかもしれない。生来の属性に苦しみ、悲哀の念に苛まれ、自分自身から逃れようと必死にもがいてきた人生だが、初めて天から祝福を授かった気分になった。
 デビュー作には作家の全てが含まれているとしばしば言われるが、『独り舞』の場合、それはあながち間違いではない。「死ぬ」という単語で始まるこの最初の小説に、私は当時の自分にできる限りの全てを注いだ。存在の不条理、災難の偶発性、偏見と差別と迫害、性的マイノリティ、誇り(プライド)自己嫌悪(コンプレックス)、傷とトラウマ、自分自身であることの苦しみ、そして自殺願望――私の人生観や死生観、痛みと苦しみの根源が、この小説の至る所に隠れている。『独り舞』は私の回想録であり、黙示録であり、預言の書ですらあり得た。
 純文学作品として、この小説は致命的な欠点をいくつも含んでいると認めざるを得ない。しかしそんな欠点でさえ、たとえ世界中の誰からも理解されなくても、それは私の人生の、とある段階のままならなさの証言になる。
 不死鳥は一度死んでから生き返るという。死より生まれ出づるこの最初の物語も、一度絶版になってから文庫として蘇った。たとえ何十年経った後でも、私はこの作家人生の原点を何度でも振り返り、進むべき道を模索してゆくだろう。



李 琴峰(り・ことみ)
1989年台湾生まれ。’13に来日し、’17に本作で第60回群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。’19に『五つ数えれば三日月が』で第161回芥川龍之介賞候補。同作は後に単行本化し、第41回野間文芸新人賞候補となる。’21に『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨新人賞を受賞。同年、『彼岸花が咲く島』で第34回三島由紀夫賞候補、第165回芥川龍之介賞を受賞。

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