たったひとりの奮闘が世の中を救うこともある

文字数 1,056文字

 私が日本初のポン菓子製造機の創出者・吉村利子(「吉」は土のしたに口)さんの存在を知ったのは、録音された数年前のラジオ番組を、ウォーキング中にヘッドホンで聴いたのがきっかけでした。
 ゲスト出演された吉村さんが、
「太平洋戦争中に米や雑穀を炊く燃料がなく、栄養失調が原因で子どもたちが死んでいくのを、なんとか止めたかった。そのとき、私は19歳でした」
 と語った瞬間、体中に電流が走ったようになって、足を止めてもう一度聴き直したんです。
「どうして日本人のほとんどが、この話を知らないのだろう」
 そう思った私は、ぜひ彼女の人生を作品にしたいと思い、手紙を書いて、そのあと彼女が住む北九州に飛んでいきました。
 了承を得て資料集めをはじめると、戦時中の銃後の暮らしの記録が本当に少ないことに驚かされました。空襲で死者が何人だったかとか、防空壕やもんぺとはどんなものだったかなどは残っているのですが、ガスは使えたのか、電話はどのくらいの人が利用できたのか、酒は飲めたのか、地域を絞った記録となると、ほとんどないんですね。
 その中で、人々が味わった「飢え」とは、どんなものだったのか。もうだいぶご高齢になった、「当時を知る人」に聞くしかなかったんです。彼らが語ってくれた記憶、それは震えるぐらい恐ろしいものでした。
 敗戦からもうすぐ80年。その感覚を、ほとんどの日本人は知らない。
 いま、私たちは時代の岐路に立たされています。たったひとりがなにかを叫んだところでなにも変わらないといった、無力感が日本中を覆っています。
 目を覆わんばかりにガリガリに痩せた子どもたちを前にして、立ち上がった19歳の女の子。大阪からたったひとりで3日間汽車に揺られ北九州に向かい、数々の困難を乗り越えながら、彼女はポン菓子製造機を作り上げました。子どもたちに食糧を与え、復員兵たちにも職を与えることとなったのです。
 彼女の奮闘をぜひ、読んでほしい。なにもできないなんてことはない、そんな気持ちに、きっとなれると思います。



歌川たいじ(うたがわ・たいじ)
1966年東京都生まれ。2010年『じりラブ』でデビュー。自らの生い立ちを記した『母さんがどんなに僕を嫌いでも』が映画化されるなど話題を呼び、その後も次々と作品を発表。年齢層や性別を問わず、幅広い読者に支持されている。主な作品に『花まみれの淑女たち』『やせる石鹸』などがある。

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