死は常に傍らにある

文字数 1,764文字

 2024年2月26日に、61歳で、普通二輪の運転免許を取った。
 警察庁の統計では2022年末、大型二輪・普通二輪の免許現在数は1860万8472人。
 だが、60歳以上の普通二輪免許の新規交付(2022年中)に限っては、全国でわずか75人だ。我ながら、なかなかの(つわ)(もの)と思う。
 還暦超えライダーとなった理由に、父の死がある。父は2022年11月、90歳で息を引き取った。先立つ不孝は消えた。晴れて、バイクに乗りたいと思った。
 私が高校生だった1970年代後半、バイクは暴走族やツッパリの乗り物だった。三ない運動、バイクがワルで嫌われ者だった時代の空気を、私は今でも覚えている。
 そんな世の風潮に、私は自然にバイクを避けていた。それでも内心、強く(あこが)れていた。
『ワイルド7』『仮面ライダー』-バイクを駆るヒーローは、カッコよかった。
 20歳で四輪の免許を取ったとき、二輪免許も考えた。しかし、近所の子がバイク事故で亡くなり、両親の手前、取得には踏み出せなかった。
 2023年5月、私は41年ぶりに自動車学校に入り、二輪車の教習を受けた。
 初めて乗るバイク〈ホンダCB400 SUPER FOUR(スーフォア)〉は怖かった。
 初歩の操作と車体の引き起こしを習い、シートに(また)がった。
 スタータースイッチを押す。エンジンが掛かる。両足で挟んだガソリンタンクの下から、400㏄直列4気筒エンジンの音と振動が伝わってくる。シリンダーの中で、混合気が燃焼し続けている。ほのかに温度を持ち始めている。焼けたオイルのにおいがする。
 左手のクラッチレバーを(つな)いだ。いきなり、エンスト。再始動し、今度はゆっくりとクラッチレバーを放してゆく。
 バイクが動いた。(せつ)()、私のしがみついたバイクは直進していた。
 時速30キロにも満たない。だが、201キロの車体で転倒したら、(ただ)ではすまない。近所の子の死亡事故が頭を(よぎ)った。彼は私よりも年下だった。
 死はすぐ傍らにあった。死に神は私の肩に乗っている。ハンドル操作を誤り、少しバランスを崩したら、私の人生は終わる。死を間近に実感できた。
 果たして、直角のクランクで、私は転倒した。ヘルメット越しに頭を打った。左足首が車体の下になって、痛かった。左手の親指と右手首も痛い。
 それなのに、(そう)(かい)だった。恐怖を超えた()(しょう)感、解放感、孤独感、一体感。私は一人きりで世界と(たい)()し、世界に溶け込み、世界を飛び回っている-。
 2024年3月、第25回(2021年度)日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作『クラウドの城』が光文社文庫になった。
 コロナ禍のさなか執筆を続けた3年前と、状況は大きく変わった。
 2022年ロシア・ウクライナ戦争、2023年イスラエル・ガザ戦争と、多くの人々が殺傷され続けている。
 IT機器とドローン、SNSや生成AIの普及後、初めての本格的な戦争だ。私たちは、ネットに上げられた無数の戦場の映像を目にする。
 2024年の元日に能登半島地震、2日に羽田空港航空機衝突事故が起き、犠牲者が出た。
 2月、認知症の母は自意識を失ったまま、90歳で死去した。母の葬儀を挟んで2月26日、私は7回目の卒検で、ついに合格した。(すが)(すが)しい達成感が吹き抜けていった。
 文庫版『クラウドの城』の改稿では、必然的に戦争と死の臭いを色濃くリアルに描いた。
 死は間近にある。戦争の影は色濃く、時代と私たちに差している。
 死は常に私たちの傍らにある。



大谷 睦(おおたに・むつみ)
1962年、東京都生まれ。幼少期に秋田市へ移住。現在、北海道・函館と東京・町田を拠点にする。
2021年『クラウドの城』で第25回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、デビュー。壮大なテーマと濃密な文体で、熱烈な支持を獲得している。

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