きっかけは家守

文字数 1,102文字

 私の奄美大島の家には同居人がいます。いや、人と言っちゃいけないな、家守(やもり)ですから。
20年前、移住したての頃にいたのは、オンナダケヤモリというしっとりとなまめかしい感じの皮膚を持つ家守でした。オンナダケといっても、沖縄本島にある恩納(おんな)岳の名前がつけられただけで、メスしかいないわけではありません。あたりまえだろうと思われるかもしれませんが、小笠原諸島や琉球列島に生息するオガサワラヤモリはメスだけで単為生殖をおこないます。本当にオンナだけで子孫を残し、オスはほとんどいないそうです。
 さて、ある日気がつくと、わが家からキョッキョッキョッと高笑いのような鳴き声がするではありませんか。何者の仕業かと捕まえてみると、家守です。ちょっと見ただけではオンナダケヤモリと区別がつきませんが、尻尾に小さな棘があり、皮膚もそれほど艶っぽくはないホオグロヤモリだったのです。ホオグロヤモリのほうがオンナダケヤモリよりも強いらしく、わが家はいつしかホオグロヤモリに乗っ取られていたのです。
 家守はどれもよく似ているので、識別は困難です。興味が湧いたので図鑑を買って調べたところ、衝撃的な事実がわかりました。家守のなかには、外見上はまず区別がつかず、遺伝子を調べるとようやく別種とわかるような種がいるというのです。奄美群島には、家守なのにほとんど家屋には寄りつかず森にいるミナミヤモリという種がいます。このミナミヤモリの遺伝子をよく調べてみると、アマミヤモリという新種がまじっていたのです。このような種のことを隠蔽(いんぺい)種と呼びます。外見上はまったく区別がつかない別種……こんな種がもし、ヒト

Homo

sapiens

のなかにまじっていたら、いったいどんな騒ぎになるだろう。そう考えたのが、『隠蔽人類』という本を書くきっかけでした。同居人ならぬ同居爬虫類のおかげで、奇想に花を咲かせることができました。



鳥飼否宇(とりかい・ひう)
1960年福岡県生まれ。九州大学理学部生物学科卒業。18年の出版社勤務を経て、2000年に奄美大島に移住。01年、『中空』が第21回横溝正史ミステリ大賞を受賞しデビュー。『痙攣的』などの綾鹿市シリーズに代表される奇想と逆説の横溢した作品も多い。また、碇卯人名義で、テレビドラマ「相棒」シリーズをノベライズしている。2016年『死と砂時計』で第16回本格ミステリ大賞(小説部門)を受賞。近著に『天災は忘れる前にやってくる』『パンダ探偵』などがある。



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