半衿のこと

文字数 1,515文字

 着物にはまったのは大学生のとき。きっかけは大学の能楽サークルに入ったことだった。
 京都に住みたいからという理由で大学は京都を選んだのだが、入学後、最初にできた友人が能楽サークルに入るというので、なんとなく私も入ることにした。
 能楽サークルでは看板に偽りなく、能楽を習う。仕舞と謡を稽古する日々である。稽古の成果を披露する舞台もある。
 舞台に出るさいには、着物に袴をつける。袴はサークルが所有しているものを借りるが、着物は自分で用意しなくてはならない。なんでもいい、ということだったので、実家から色無地を送ってもらった。地味な鴇鼠の着物だった。
 当時は、色無地だの小紋だの付下げだのといった違いを、よく理解してなかった。それでも否応なしに着物を着はじめて、徐々に着物に興味を持っていったのだと思う。
 京都市内には骨董店が多くあり、古い着物を扱う店もある。私が住んでいたのは寺町二条で、当時その近辺には骨董店が軒を連ねていた。そのうちの一店舗の店先に、安売りの着物がずらりと並んでいたことがあった。安売りの品だけに、高そうな着物はない。しかし、ぱっと目を惹く、朱色の長襦袢があった。型染めの襦袢で、シミも多かったが、妙に惹かれた。裏地は鮮やかな紅絹だった。値の張るものではないにしても、戦前のものだったのではないかと思う。衿が木綿のようで色あせてガサガサしているのが気になったものの、それを買って、つぎの舞台で着物の下に着た。
 なんの舞台だったか、よく覚えていない。年に何回かある舞台のうちのひとつだった。自分の仕舞が終わったあと、上品な老婦人に声をかけられた。
「あなた、半衿がついてないわよ」
 なんのことかわからなかった。長襦袢の衿のことを言っているのだろうと思ったが、衿ならちゃんとついているではないか。不思議そうにしている私に、老婦人は教えてくれた。長襦袢の衿の上に、半衿という衿を縫いつけるものなのだということを。
 半衿は自分で縫いつけるものだということを、そのときはじめて知った。それまで着ていた長襦袢は実家から送ってもらったもので、すでに半衿を縫いつけてあるものばかりだったのだ。どうりで、ほかの長襦袢と違い、妙な衿だったわけである。
 できれば舞台に出る前に知りたかったが、しょうがない。いまでもそのときの舞台の写真が残っているので、ちょっと恥ずかしい。
 それから古い着物に熱中してゆくのだが、案外、この失敗がなければ、そこまで関心を向けなかったかもしれない。
「花菱夫妻の退魔帖」シリーズでは、鈴子の出で立ちについて、着物や帯にとどまらず、つい半衿やら帯揚げやら、細かいところまで書いてしまう。好きだから、というのもあるのだが、そうした細かいところにこそ趣向を凝らすのが和装の醍醐味だと思うからでもある。
 このたびの新刊『花菱夫妻の退魔帖(三)』でも、鈴子の着物姿を細かいところまで楽しんでいただけたら嬉しい。



白川紺子(しらかわ・こうこ)
三重県出身。同志社大学文学部卒業。2011年に「サカナ日和」で第154回Cobalt短編小説新人賞に入選後、`12年「嘘つきな五月女王」でロマン大賞を受賞。同作を改題・改稿した『嘘つきなレディ~五月祭の求婚~』で`13年にデビュー。著書に「後宮の烏」シリーズ、「下鴨アンティーク」シリーズ、近著に『京都くれなゐ荘奇譚(四) 呪いは朱夏に恋う』がある。

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