目指すものが違う

文字数 1,157文字

 この作品は、ひとつの事件を丁寧に描いた長編です。
 そう聞くと読者の方は「なぜひとつの事件なのか。ミステリ小説の定番である、連続殺人は起こらないのか」と思われるかもしれません。でも、仕方がないのです。なぜなら次の事件の発生を防ぐ話なので。
 連続した殺人事件には、ふたつのパターンがあります。ひとつは、一人の犯人が複数の標的を狙って、次々と殺していくパターン。どちらかというと、こちらが王道ですね。でも少数派ながら、もうひとつのパターンがあります。それは、ひとつの殺人事件がスイッチになって、新たな殺人事件が起きてしまうというものです。いわば、ドミノ倒しの殺人。
 両者の違いは、次の事件に対する取り組み方にあります。王道のパターンは、探偵役が「犯人は、次に誰を殺すか」と考え、犯人の野望を食い止めるために、犯人を特定しようとします。いわば、犯人と探偵の知恵比べが読みどころになります。
 一方、ドミノ倒しのパターンは、犯人捜しの目的が違ってきます。起きてしまった殺人事件を解決して、犯人を逮捕させるのが目的ではありません。大切な人を殺害された人間が、犯人に対して復讐=殺害する。それを防ぐために、標的となる犯人を復讐者よりも先に特定して、犯人を復讐者から遠ざけるのが目的となります。ですから、変な言い方になりますが、探偵役は犯人など眼中にありません。犯人ではなく、事件の発生を憎む。犯人の特定は、手段に過ぎません。
 それだけではありません。復讐すべき犯人が目の前からいなくなった後、復讐者はどうするのか。宙ぶらりんの憎しみを抱えて、これからも生きていくのか。犯人だけでなく、次の犯人もケアする。犯人と探偵の知恵比べよりも、さらに面倒くさい作業が必要になるのです。
 そんな面倒くさい作業に取り組むのが、本作に登場する鎮憎師です。裏方に徹することの多い彼らですが、相当な苦心があることは、容易に想像がつきます。
これなら普通に探偵役をやった方が、ずっと楽なのに。書きながら、そんなことを考えていました。



石持浅海(いしもち・あさみ)
1966年愛媛県生まれ。九州大学理学部を卒業後、食品会社に勤務。’97年、鮎川哲也編の公募アンソロジー『本格推理⑪』(光文社文庫)に「暗い箱の中で」が初掲載。2002年、光文社の新人発掘企画「カッパ・ワン」に応募した『アイルランドの薔薇』で長編デビュー。'03年刊行の第二長編『月の扉』は、各種のランキング企画に上位ランクインし、日本推理作家協会賞の候補にもなる。近著に『賛美せよ、と成功は言った』『崖の上で踊る』『不老虫』『パレードの明暗』『殺し屋、続けてます』などがある。

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