解説という名のカルテ

文字数 1,137文字

 文庫化にあたり「解説をお願いしたい人はいらっしゃいますか」と問われ、迷わず心療内科医の海原純子さんのお名前を挙げた。心が苦しいときに書いたものだったので、この一冊においての、書き手の精神状態をすっきりと診断してほしかった。
 お願いしてからほどなくして解説という名のカルテが届いた。あくまでも解説なので、守秘義務はなく全文巻末に掲載されている。
 まず、主人公のツキヨが「日本の最北端から一番遠い南の島にやってきたのには理由がある」とあった。戸惑うわたしにカルテが容赦なく告げる。
「幸せな人は、人と繋がりたいし、自分を知る人がいないことが不安になるものだ」。
 はっとする。私が現在の土地に仕事場を構えた理由も「知っているひとがいない」というその一点だったのだ。
 ツキヨが求めていたものは、「ここで死んでも誰も気づいてくれないだろうな」という解放感だったのではないか、とカルテは指摘する。この世に存在していない人間になっていることの解放感はまさに、小説の中を旅している著者の心情そのものだった。
 原稿を書いているとき、私はひたすら透明人間を決め込む。主人公の右肩のあたりで背後霊よろしく同じものを見て同じ風を感じる。けれど私が生きようが死のうが、作中の彼らにはとんと関係なく時間が過ぎてゆく。
 カルテには、ツキヨはいたわられたことがないので自分をいたわる方法がわかっていない、とあった。そのひとことにスッとした私は、ゲラの最終確認でラストを書き換えた。書くことで自分をいたわっていることを知った後は、ツキヨのこともいたわりたくなったのだろう。
 物語も作者とともに年を取る。文庫化によって、いま欲しい答えを得られる一冊となった。自らの意思で流れることを決めたツキヨは、私自身でもあった。思えばずいぶんと回り道をしてしまった。今後また心が苦しくなったときは、迷わずクリニックに行こうと思う。



桜木紫乃(さくらぎ・しの)
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。'07年、同作を収録した『氷平線』でデビュー。'13年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞、『ホテルローヤル』で第149回直木三十五賞を受賞、’20年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞を受賞。他の著書に『起終点駅(ターミナル)』『裸の華』『砂上』『ふたりぐらし』『緋の川』『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』『Seven Stories 星が流れた夜の車窓から』(共著)、絵本『いつか あなたを わすれても』(オザワミカ・絵)『ブルースRed』など。

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