明日が信じられた時代

文字数 1,095文字

 浅草在住だった私は、コロナ禍以前、中国人観光客が激増した頃に、浅草寺のベンチに腰掛けて毎日のように彼ら彼女らを眺めていました。その表情に懐かしいものを想い出したからです。それは高度経済成長期の日本人と同じ表情でした。

「明日は今日より必ず良くなる」

 そう信じる者の明るい表情がそこにはありました。
 
 昭和31年生まれの私は高校を卒業する齢まで、高度経済成長期を生きたわけですが、時代の是々非々など考えた事はございませんでした。ただただ、日本は素晴らしい国だと信じて少年時代を生きたのです。

 関連するエピソードとして、日の丸の旗に涙した事がございます。
 むせび泣いた事があるのです。

 昭和39年、私は東京オリンピックの熱がまだ冷めやらぬ日本から米国ワシントン州の片田舎のプルマンという町に移住しました。植物病理学者であった父がワシントン州立大学に招かれ、家族を伴った移住でした。
 現地では多くの日本製品を目にしました。主にはホンダのバイクであったりソニーの電化製品であったりしました。
 私は現地の友人にそれを自慢しました。
 これらはメイドインジャパンなのだと。
 誰も信用してくれませんでした。
 それどころか莫迦にされました。
 日本にそんな技術があるはずがない、と鼻で嗤われたのです。
 当時の彼らの日本に対する認識は、サムライ、ゲイシャ、フジヤマ止まりだったのです。

 悔しい想いをしていた私は真冬のカナダ、バンクーバーを家族旅行で訪れました。
 港に商船が停泊しておりました。
 その船尾に翻っていたのが日の丸でした。
 凍えるような寒さのバンクーバーは抜けるような蒼天でした。
 そこに翻る日の丸の旗に「なんて美しい旗なんだ」と感涙にむせび泣いたのです。

 あれから日本もいろいろありました。私の作風を知る読者さんは『白蟻女』に収められた二つの物語を私らしくないと感じられるやも知れません。
 でも、ここで書かれたような時代も日本にはあったのだと、ご理解頂きとう存じます。



赤松利市(あかまつ・りいち)
1956年香川県生まれ。2018年「藻屑蟹」で第1回大藪春彦新人賞を受賞しデビュー。’20年『犬』で第22回大藪春彦賞を受賞。ほかに『鯖』『風致の島』『隅田川心中』『らんちう』『饗宴』『ボダ子』『女童』『エレジー』『東京棄民』『救い難き人』など。

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