著者校正の驚き

文字数 1,051文字

『ボクハ・ココニ・イマス』が文庫化されることになり、著者校正をやる。この本が出たのが二〇一〇年。当時の熊本市を舞台にしていて、「消失刑」という試験的な刑罰を選択した主人公の受刑者の放浪記といえば、よいのか。消失刑の主人公は誰にも見えないという設定がタイトルの由来になっている。そして主人公がさまよう熊本市の描写は、当時かなり忠実にやった記憶があった。そして今回の著者校正。
 驚いた。作中の市街地と現実とではまるで別ものになってしまっている。受刑者の管理センターがある空地群は今では官公庁ビルが立ちならんでいる。そうか、あのときから、十数年が経過しているのだなあ。
 その間に熊本を新幹線が走るようになった。何よりも、震度七を二度体験することになる熊本地震が発生した。これによって古い家屋はほとんど解体され、街並みそのものが様変りしてしまった。新しい熊本駅となり、駅周辺のビル群に建て変ってしまった。市の中央部を見ると、かつて「交通センター」と呼ばれていたバスターミナルは「サクラマチ」と呼ばれる複合施設に変貌している。ざっと瞬間的に思いついただけで、これだけあるとは。
 だから、著者校正をやりつつ、途中までは新しい熊本市の風景を取り入れつつなおしていたものが、途中からは矛盾を起こさない範囲でということに切り替えた。
 それでも追いつかなかった。だから、ある時点からプロット優先の修整へと軌道を変更している。
 やっと、著者校正を終えて、もう一度、読み返してみた。
 これは、かつての熊本市ではなく、そして現実の現在の熊本市でもない。まるでヌエのような仮想現実の熊本市となってしまっていた。これでいいのではないか? 『ボクハ・ココニ・イマス』の話そのものが、非現実なできごとを語っているのだから、と。



梶尾真治(かじお・しんじ)
1947年、熊本県生まれ。’71年「美亜へ贈る真珠」で作家デビュー。’79年には「地球はプレイン・ヨーグルト」で星雲賞を受賞、短編SFの名手としての地位を確立した。2003年には『黄泉がえり』が映画化され、大ヒット。’05年には『クロノス・ジョウンターの伝説』が映画化・舞台化された。他の著書に、日本SF大賞を受賞した『サラマンダー殲滅』や『おもいでエマノン』『つばき、時跳び』『壱里島奇譚』『クロノス・ジョウンターの黎明』『未来(あした)のおもいで 白鳥山奇譚』などがある。

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