山笠のあるけん博多たい

文字数 1,825文字

 博多には有名な祭がふたつある。
 五月のゴールデンウィーク中、天神の街をパレードして歩く“博多どんたく港まつり”と、七月上旬から中旬にかけて、人形で飾りつけた神輿を男たちが担いで博多の街を駆け抜ける“博多祇園山笠”である。
 ゴールデンウィーク期間中、全国有数の人出を誇る博多どんたくの方が、もしかしたら世間的には認知度が高いのかもしれない。だが、地元福岡の人間にとっては、博多の男たちが法被と褌姿で威勢良く神輿を担いで走る(山笠では神輿を“山”、担いで走ることを“()く”という)山笠の方に、福岡の祭という実感を持っているような気がする。
 七月九日から十五日まで、男たちは山を舁く。なかでも、最終日の十五日の早朝に開催される“追い山”は、ひときわ熱い。なんとこの追い山、タイムアタックなのである。七つの“(ながれ)”と呼ばれる地区に分かれ、それぞれの山を舁き、スタート地点の櫛田神社から廻り止めと呼ばれるゴールまでの時間を競うのだ。
「山笠のあるけん博多たい」
 ひと昔前にしきりに流れていた福岡のローカルCMで使われていたコピーである。
 とにかく山笠開催中、博多の街は山笠で埋め尽くされてしまう。
 博多出身ではない私には、忘れられない経験がある。私がまだ、トラックを運転していた頃のことだ。届け物があり、昼間にトラックで中洲に入ろうとしていた時。
「ごめんねぇ!」
 そう言ってトラックの前に、褌姿の男性が立ち塞がった。
運転席の窓を開けた私に、男性は気さくに語りかけてくる。
「山が通るけん、ここは通られんとよ」
 は?
 私は言葉を失った。
 祭の神輿が通るから、仕事中のトラックは通れない?
 訳がわからなかった。
 当然、山笠の方は警察に届けている。通行止めになるのは致し方ない。だが、一分一秒を争う届け物を荷台に載せている私にとっては、正直“たかだか祭ごときで”という想いが強かった。あらかじめその日は終日、祭で通行止めになるという話であるのなら、私も納得したのだが、なんの告知もなく唐突に、褌姿の男性に車を停められてしまったものだから、そんな想いを抱いてしまった。
「ごめんね」
 道を避けろと当たり前のように言ってくる山のぼせの男性の勢いに負けて、私は道の端に車を寄せた。為す術なく途方に暮れていた私に、威勢の良い男たちの声が近づいてくる。
 おっしょい、おっしょい、おっしょい……。
 褌姿の男たちの群れのなかに、甲冑を着けた巨大な侍が突き出ている。男たちの勢いが乗り移った髭面の武人が、物凄い勢いで私の横を通り過ぎてゆく。
 山笠。
 いままでの人生のなかで、私が山を最も身近に感じた一瞬であった。
 そんな私であるが、縁に恵まれ、なんと今年、山笠に参加することになった。『山よ(はし)れ』を執筆していた頃には、こんなことになるなんて思いもしなかった。
 やっと……。
 あの熱気の奔流の只中に入ることができるのかと思うと、嬉しさよりも畏れと戸惑いが私を襲う。
 畏敬と畏怖。
 博多生まれ以外の福岡人にとって、山笠とは親しみと近寄りがたさを同時に覚える神聖な祭なのである。
 本作『山よ奔れ』は、そんな博多生まれではない福岡人の私が、山笠への想いを存分に注ぎ込んだ作品である。祭の熱が少しでも皆さんに伝わり、山笠を見てみようかと思ってくれたら幸いだ。
 もしかしたら、山笠を見ようと来福された皆さんが見る山の足元に、褌姿の私がいるかもしれないと思うと……。
 少し照れ臭い。



矢野 隆(やの・たかし)
1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。以後、時代・伝奇・歴史小説を主軸に、多彩な作品を次々と刊行している。’21年『(いくさ)百景 長篠の戦い』で第4回細谷正充賞を、’22年『琉球建国記』で第11回日本歴史時代作家協会賞作品賞を受賞。ゲームやコミックのノベライズも多数手がける。近著に『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『愚か者の城』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『(いくさ)(がみ)(すえ)』、有名な合戦を描く「戦百景」シリーズなど多数。

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