石を磨く

文字数 1,001文字

 私は理系だ。ただ、理系科目が取り立てて好きだったわけではない。特に数字を扱うのは苦手だった。勉強だけはたくさんしたのでテストの成績は良く、気付いてみれば首席だった。繰り返すようだが、勉強が楽しかったわけではないし、高い志を抱いて大学に入ったわけでもなかった。与えられたタスクを淡々とこなしていただけだ。今は大学を卒業して、企業に就職して、普通のサラリーマンをやっている。勉強したことなんて社会に出たらあんまり意味ないよね、と言われたら、否定することはできない。せっかく学んだことをぞんざいに扱ってしまうことは誰しも経験があるのではないだろうか。
 理系が武器になると気付いたのは小説を出版してからだった。どんな教科書にも記載されているような基本的なことも、料理法によってはエッセンスとして、あるいはスパイスとして使うことができる。記憶の底で朽ちかけていた知識に価値が生まれた瞬間だった。まさに磨けば光るというやつだろうか。私が小説のためにもう一度大学に入り直したいと思ったのは想像に難くないだろう。
 本作『フォールディング・ラブ』の主人公はそれこそ大学時代の私だ。高い目標もなく何となく流されるままに日常をこなしていた。しかし、大切な幼馴染が病に倒れたとき、自身がないがしろにしていた理系知識が役に立つ。ただの知識だったものが自分にしかない能力に変わる。
 人は何のために学ぶのか。いい大学に入っていい就職先を見付けるため? それは決して間違いではない。でも、せっかく何かを学んだのなら、たまにはその知識を磨いてみてもいいかもしれない。理系知識に限った話ではない。料理、芸術、育児、スポーツ。もしかしたら、それらが最愛の人を救う手立てになるかも、とは言い切れないが、少なくとも日常の中でキラリと輝く綺麗な石程度にはなるかもしれない。



絵空ハル(えそら・はる)
埼玉県出身。エブリスタに掲載された『神楽坂愛里の実験ノート』でデビュー。専門性と物語性が融合した作品で、同シリーズは4巻を数える。
東北大学大学院農学研究科修士課程修了。学生時代、研究の傍ら作品を執筆。現在も企業で食品の研究を続けている。

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