赤染衛門になりたい

文字数 1,011文字

 ここ数年、カルチャースクールで「新古今和歌集」の講義を受けている。昨今の紫式部、源氏物語のブームもあって、いっそう面白さを感じているところだ。そのなかで、紫式部が手放しで褒めているのが赤染衛門だと知った。テレビをご覧の方は、ああ、あの人とすぐにおわかりになるかと思う。学ぶほどに、この歌人がいかに優れた人で、才能豊かな女性であるかわかってきた。多くの歌人が生まれた平安時代において、和歌の世界で秀でるということがどれほど凄いことなのか。今、わたしは小説の世界に身を置いて、そのことをひしひしと感じている。
 元の職業であったこともあって、警察ミステリーを書かせていただいている。けれど、このジャンルには既に、素晴らしい作家が多くおられる。そのなかで、どうやって自分の存在を知っていただけるようになれるか、日々、思案に暮れている。
 今作は、交番が舞台だ。どこにでも見かける箱にしか見えない建物。訪れる人はあまりない。けれど、その交番こそが日本の治安を守る最前線だと、わたしは思っている。タイトルの箱をあえて匣という文字にした。交番員が動くときは災いが起きたときだ。そして交番員が交番に座っているときは平和なときだ。災難が去って平和が戻る、パンドラの匣に似ていると思って、この漢字を使った。主人公の浦貴衣子はそんな交番勤務員として、住民らとの交流を通し、自身も成長しながら事件を解決してゆく。とはいえ警察官も人間だから、貴衣子は悩み迷い失敗もする。でも警察官という仕事に一生懸命だ。それが優れた人ということなのだろうと思う。
 歌人赤染衛門には確かに才能はあっただろう。けれどそれだけではない筈だ。誰よりも努力し、励んだ人なのだ。わたしもいつか、誰かに手放しで褒めてもらえるようになりたいと願っている。そのために必要なことを赤染衛門と貴衣子から学んだ気がする。



松嶋智左(まつしま・ちさ)
1961年生まれ。大阪府在住。元警察官。第10回島田荘司選ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞。他の著書に『虚の聖域 梓凪子の調査報告書』『三星京香の殺人捜査』『出署拒否 巡査部長・野路明良』『巡査たちに敬礼を』などがある。

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