八幡の藪知らず考

文字数 1,577文字

 浅見元彦が親友の内田紫堂と事件を解決する「浅見光彦シリーズ番外」の第二弾は、千葉県市川市が舞台だ。そこには全国的に有名な禁足地、「八幡の藪知らず」がある。
 禁足地とは歴史や宗教的な背景などがあって、立ち入りが禁止されている場所だ。ただの立ち入り禁止エリアではない。そこには古くからの言い伝えや非科学的な、多くの場合オカルティックな理由があり、入ればバチが当たったり命を落としたりするとされている。あり得ないと思いながらも私たちは「恐れ」や「畏れ」を抱く。

 「見るなの禁止」というのがある。代表的なのは昔話の『鶴の恩返し』だ。見るなと言われればむしろ逆に見たくなる。入るなと言われれば入りたくなる「入るなの禁止」もあるだろう。人はやるなと言われればやりたくなる生き物だ。

 小学校の通学路に橋があった。ウエンナイ川に架かる小さな橋だ。ある日その橋の架け替え工事が行われた。先生からは危ないので決して近づかないように、と言われていた。しかし私は、工事の現場がどうなっているのかどうしても見たかった。それでそばへ行ってしまった。太い橋脚が川から突き出ていて、シュールな光景だったのを覚えている。小学一年生の思い出だ。
 もし私が「八幡の藪知らず」のそばに住んでいたら、うっかり入ってしまうのではないだろうか。地元の子供たちは大丈夫だろうかと心配になる。大人たちがどんなふうに子供に教えているのか気になるところだ。

 先日、現地を見に行った。現代の「八幡の藪知らず」は、孟宗竹に浸食された竹林で、十八メートル四方ほどしかない小ささだ。藪の向こう側が透けて見えているくらいだった。想像よりもずっと、からっと明るい藪だ。
 だが江戸時代や明治時代は違った。広さこそ今とあまり変わらないそうだが、当時はケヤキやカシワ、スギ、マツ、クリなどの高木(こうぼく)やアオキ、ヤブツバキなどの低木が鬱蒼と茂った、森と言っても過言ではないところだった。その上、木々の樹冠には藤、()(づた)などのつる性植物が覆い被さるように繁茂していたそうである。

 『遊歴雑記』は江戸時代の1812年から1829年に書かれた本だが、そこには「古来より種々の奇怪の巷談 (まちまち)ありて」とあり、入った人が籔中の怪異を語り終えるなり血を吐いて死亡した、などと物騒なことが書いてある。

 「八幡の藪知らず」が禁足地になった理由としてはいくつかある。
 最初に葛飾八幡宮を勧請した地であるから。
 平将門の乱の折、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、ここに死門を残したので。
 平将門の首を守った家臣六人が、ここで時を経て泥人形になったために祟りがあるから。
 などだが、私は『遊歴雑記』にもあるように、ここが行徳村の飛地(入会地)であったため、「八幡では知らない」つまり「八幡の八幡知らず」だったのがいつしか「八幡の藪知らず」となった説を支持したい。

 どんな理由かはっきりとわからないにもかかわらず、長い年月を経てもなお禁足地であり続ける場所であることに、なんとも言えない怖さを感じる。
 そんな場所を小説の舞台にしてしまっていいのか、と不安が頭をよぎるが、不知森神社にお参りして、報告と大ヒット祈願をしてきたので大丈夫でしょう。きっと。



和久井清水(わくい・きよみ)
北海道生まれ。北海道在住。第61回江戸川乱歩賞候補。2015年宮畑ミステリー大賞特別賞受賞。内田康夫氏の遺志を継いだ「『孤道』完結プロジェクト」の最優秀賞を受賞し、『孤道 完結編 金色の眠り』で作家デビュー。著書に『水際のメメント』『かなりあ堂迷鳥草子』『平家谷殺人事件 浅見光彦シリーズ番外』などがある。

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