北の街に北を足す

文字数 901文字

 名探偵・浅見光彦の生みの親・内田康夫の命日は、「康夫忌」ならぬ「野想忌」といいます。平成三十年三月十三日という回文のような日に他界した内田。野を想えば浮かぶ舞台地の風景、野に想えばよみがえる物語の一場面――と、旅情ミステリー作家らしい意味を込めるとともに、「YASUO」と「YASOU」というアナグラム。言葉遊びと駄洒落が好きだった、内田らしい文学忌になりました。
 二〇二四年は内田康夫の七回忌であり、生誕九十年にもあたります。内田は一九三四年に東京北区、当時は東京市滝野川区と呼ばれていた地区の、内田医院という町医者の次男として生まれました。平塚神社の境内や音無川の河原など、その頃の雰囲気が今もなお変わらずに残っている場所で、よく遊んでいた内田少年。太平洋戦争の最中には空襲で家を焼かれ、『奇譚の街 須美ちゃんは名探偵!?』にも登場する「蟬坂」を下り、これまた作中に登場する「操車場」まで、命からがら走って逃げたこともあったそうです。
 浅見光彦の家は、内田家があった場所の近く、西ケ原地区という設定ですが、実はあの渋沢栄一翁も、晩年は内田の家のご近所さんだったようです。内田康夫と渋沢翁、もしもこの二人に接点があったなら、それこそ「北の街の奇譚」として描くことができたのですが、残念ながら内田が生まれる三年前に、渋沢翁は亡くなられています。ただ、内田康夫が生誕九十年を迎える今年、新一万円札の肖像として渋沢栄一翁が登場することは、「北の街の奇縁」と言えるかもしれません。
 内田には『北の街物語』という北区を舞台にした浅見光彦シリーズの作品がありますが、『奇譚の街』も、北区をフルに使っています。ちなみに北の街に北(N)を足すと、「KITA(N)NOMACHI」になります。「北の街」と「奇譚の街」……。言葉遊びと駄洒落が好きだった、内田にあやかって付けたタイトルです。



内田康夫財団事務局

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