にんじん

文字数 1,034文字

 近所にこぢんまりとした屋内市場がある。昭和の時代から営業しているらしく、昔ながらの古めかしい建物といい、愛想よく声をかけてくれるお店の人の物腰といい、古き良き日本映画にでも登場しそうな風情が漂っている。お肉屋さんも魚屋さんも八百屋さんも、とても親切だ。豚の塊肉を買えば「これ、焼き豚にするの? タコ糸かけとこうか?」と言われ、巨大な鯛の頭に目を奪われていると「おいしいですよ、オーヴンで丸ごと焼いちゃえば簡単だし」とすすめられる。わらびのアク抜きのやりかたや、穴子のぬめりのとりかたも、丁寧に教えてもらえる。すごく頼りになる。
 日曜祝日は休みなので、先日、連休がはじまる前に足を運んだ。牛スネ肉をたっぷりと、じゃがいもと玉ねぎとにんじんを一盛りずつ買う。「カレーかい?」と八百屋のおじさんに聞かれて「シチュウです」と答えた。ずっしりと重たい袋を受けとり、代金を払う。お釣りの小銭を数えながら、おじさんが言い添えた。
「にんじんは、冷蔵庫にしまってね」
 食材の調理や保存にまつわるプロからのアドバイスに、ほう、と物知らずのわたしはいつも感心して聞き入るばかりだが、にんじんを冷蔵庫で保存したほうがいいことは知っていた。
 小説の取材でにんじん農家におじゃましたときに、聞いたのだ。スーパーマーケットなどでは玉ねぎやじゃがいもと一緒に並べられることも多く、常温で置いておいていいと勘違いされやすいけれど、あれはなんとかしてほしいと嘆いておられた。「うちのにんじん」をできるだけおいしく食べてもらいたいと願うのは、作る人も売る人も同じなのだろう。
「はい、冷蔵庫に入れます」
 ご心配なく、という気持ちをこめて、うなずいた。わたしもわたしなりに野菜を愛している。作る人や売る人にはかなわないかもしれないが、食べる人として、そして書いた人としても。
「毎度!」
 おじさんはにっこり笑って、五十円おまけしてくれた。



瀧羽麻子(たきわ・あさこ)
1981年、兵庫県生まれ。2007年、『うさぎパン』で第2 回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。著書に『乗りかかった船』『ありえないほどうるさいオルゴール店』『たまねぎとはちみつ』『博士の長靴』『東家の四兄弟』など多数。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み